好きなものに囲まれて生活する

ものの持つ
エネルギーのようなものが
気になっている。

街行く人の服装を見ていて、

この人は、
どんな想いでこの服を買ったんだろう、
とか、

だれかに
プレゼントしてもらったんだろうか、
とか、

欲しくて欲しくて買ったのか、
あるいは、
仕方なく買ったのか、とか、

そんなことを
いろいろ想像してみたりする。

ものを買う
ということに限らず、

人が何かをしようとすると、
何かしらのエネルギーが動く。

想いでも
行為でも。

たとえば、
この服を欲しいと思って、

自分のエネルギーをお金にのせて、
その服のもつエネルギーを受け取る。

そして、
家に持ち帰る。

擬人化すると、
連れて帰る。

自分が好きになった人(服)に
囲まれて生活しているのなら、
それは、楽しい。

でも、
もし、

昔、
連れ帰った人たち(服など)が、

顔も覚えていない、
誰がいるかも分からない、
もはや、好きでもなんでもない、

としたら、

そんな人(服)たちに囲まれて、
自分は生活を送りたいのか、

という話になってくる。

家にある服やものというのは、
広くとらえると、

自分を取り巻く
人たちとも取れる。

仮に、
好きな人たちばかりと
仕事をしたいと思いながら、

家の中は、
いらないものだらけ
というのなら、

それは、
自己矛盾を起こしているんじゃないか、
とも思える。

だれに、何に
囲まれて生きるか。

これは、
日々の選択のひとつひとつ
によるのかな、

と思う。

・・・・・・・
2016-03-26 06.46.11
リーバイス501ハチマル後期。

画像右側の
足先部分に、

縦にぴーっと、
長くて白い色落ちができている。

おそらく生地の織りムラによって、
そこだけ色が落ちてしまったんだと
思う。

このデニムが作られたのが
1980年代後半なので、
大量生産の時代。

織りムラがあったり、
同じ時代でディテールが違ったりと、

ある意味アメリカ的な感じ。

そんな不均一さが
逆に、
おもしろい。



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