世界のもう半分を創ってみる

何かで読んだこと。

小学校3年生説
みたいな。

それは、

自分のやりたいことを見つけるのに、
小学校3年生くらいにやっていたことを
思い出してみればいい、

というもの。

自分のやりたいことって、
なかなか見つからない。

どうしても理性が働いて、
常識的ではないことを
はなから除外してしまう。

これはないわ、
とか。

でも、
小学生時代にやっていた遊びって、
ほんとに心から楽しんでいた。

ここにヒントがある、
というもの。

確かに。

なんか
分かる気がする。

とくに、
小学校3年生くらいって、
純粋さと、自分でできることの
バランスがちょうどいい。

やりたいことって、
全然ないと思っていても、

何かをきっかけにして、
とめどなくあふれてくるような
気がする。

知っている人で、
「伝えるって楽しい」というのが
分かって、

今は、その伝えるを
いろんな方法でやっている人がいる。

言葉にすると簡単なんだけど、
この、やりたいが、
身体全体で分かる感覚って、

なかなか感じるのがむずかしい。
一生かかっても
見つからない人もいるかもしれない。

昨日、
出口光さんの過去の統合
について書いた。

過去の人生を振り返ると、
一貫して流れていた「動詞」がある、
というもの。

たとえば、
ずっと「応援する」を
やっていたなぁとか、

いつも「伝える」を
意識していたなぁ、とか。

その延長線上に
未来が見える。

最近自分の中で
腑に落ちたこと。

瞬間瞬間に願ったことの集大成が「今」。
だとすれば、
「未来は今」じゃないか、と。

過去の瞬間瞬間に、
人は、いろんなことを願っている。

1日に何万回という単位で、
物事を思考している。

その思考のエネルギーが、
物質化して、今の現状(願い)が
叶っている。

ふと思い出したこと。
自分の
小学校3年生くらいのとき。

友だちと、
ロープウェイを作っていた。

モーターとか、ギア(歯車)とか、
工作用紙をつなぎ合わせて、
ひもの上を走らせる。

工作が好きだった。

白岩くんと
よく遊んでいた。
…個人名(笑)

その白岩くんと、
工作したり、宇宙について語り合ったり、
自転車で散策したり、探偵(ドロケー)を
したり、

近くの駄菓子屋さんに行ったり、
白岩くんの庭になっていたビワを
もらったり。

なんか、
そんな記憶があふれてきた。

この情景の中に、
何かしらヒントがあるんだろう。

そういえば、
学校の授業だったか何かで、
将来の夢を書いたことがあった。

白岩くんは「パイロットになりたい」
と書いた。

自分はとくに思い浮かばなかったので、
同じく「パイロットになりたい」と書いた。

ほんとは、
特になりたくはなかったけど(笑)

もうひとつ、
腑に落ちたこと。

それは、
当事者になる、ということ。

よく
セミナーや人の話なんかを聴いて、
ワークなんかもして、

分かった気になったりするけど、
実は全然分かってなかったりする。

でも、ふとした瞬間に、
自分の言ったことを
他の人に言い換えてもらって、

そこで初めて、
自分の言いたかったのは、
これだったんだと気づく。

自分のこととして、
体全体が理解する。

元旦の早朝から、
なぜか長くなっちゃってるけど、
まだまだ思い出すので、もうちょっと。

視点を変えるヒントとして、

英語の思考で文を考えてみるのも
おもしろそうだと思った。

文法が違うことで、
思考の回路も違ってきそう。
結果、出てくる答えも違ってきそう。

なんだったら、
まったく新しい言語を考えてみてもいい。

自分語と言ったらいいのか。

自分が自分を理解するための言語。
それで思考して、
あとで、日本語に翻訳してもいい。

村上春樹さんの
短編小説の中で、こんなセリフがある。

「あなたは本当は自分も羊男になりたいのよ。でもそれを認めたくないから羊男を逆に憎むようになったのね」
(『中国行きのスロウ・ボート』「シドニーのグリーン・ストリート」より)

その人になりたいけど、
なれないから、
その人を憎む。

おもしろい。
憎んでいる人の中にもヒントがある。

昨日のブログ記事で、
世界の半分を創ってみるということを
書いたけど、

今日書いたことと合わせて、
全体になっている気がした。

内容はともかくとして、
書いていて楽しい。

子どもたちが起きだしたので、
このへんで。



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