刺激を掘り下げていくことで、つながれる世界がある

昨日今日と
雲がすごく綺麗ですね。

様々な色と形をした雲が
どこまでも続いていくかのような
広がりを見せます。

まるで
自分が自然の一部であるかのような
錯覚に陥りますね。

それは
錯覚ではないんでしょうけど。

パパちです。

◇◇◇

昨日の夕焼けは
光の当たり具合で

空の濃さが
二分されているようで
おもしろかったです。

空から
海や川を見ているときのような
深さによって異なる水の色合い。

空や雲って
写真に撮っても

その感動がいまいち伝わらないのが
もどかしいですね。

そこ場で感じるしかない。

◇◇◇

ふと
「掘り下げる」という
キーワードが浮かんだので

あれこれ考えていました。

そういえば
自分の過去記事で
こんな引用をしていました。

「働き方研究家、西村佳哲氏の著書に
こんな記載がある。

「個人を掘り下げることで、ある種の普遍性に到達すること。自分の底の方の壁を抜けて、他の人にも価値のある何かを伝えることは、表現に関わる人すべての課題だ。」
(『自分の仕事をつくる』より)」

2015.11.04朝日を浴びる街並み、つながり

この考え方は
昔から気になっていて

結局のところ突き詰めると

すべてに通じる普遍性に
行き着くんだろうな
と。

たとえば
「焦る」を掘り下げてみます。

なぜ焦るのか。
→時間がないから
なぜ時間がないのか
→予定に間に合わないかもしれないから
なぜ予定に間に合わないといけないのか
→遅れると信頼を失うかもしれないから
なぜ信頼を失うといけないのか
→仕事を失うかも
なぜ仕事を失うといけないのか
→生活していけないかも
→(怖れ)

簡略化
しましたけど

怖れという普遍性。

これだけだと
ただの感情ですが

これを何らかの形に起こすことにより

深いところで
人と人がつながるのではないか
と。

それは
アートでも小説でも
絵画でもパフォーマンスでもいいんです。

人類の普遍的な何かに通じるような
ものを表現する。

そうすることで
その普遍性に行き着いた人同士が
つながれる。

または
そこまで行き着かない人でも
何かを感じ取れる。

そんな仮説。

最近
頭の中に海の映像が浮かびます。

沖合の海に浮かんでいるところ。
波の揺れ。

こんなイメージ(波の揺れが5分くらい)。

YouTube-環境映像:朝の海

こんな映像が頭に浮かび

さっき
「焦る」を掘り下げたように

いろんな刺激や
思考や
言葉が浮かんできます。

・・・・・・・

ただただ
波の揺れをイメージする。

広い広い海。
あたりには何もない。

太陽もなく
ただ雲と海が広がっている。

その中に僕は浮かぶ。

何も考えられない。
でも、ふとある刺激が僕をとらえる。
それは焦り。

感じれば感じるほど
海の底の怖さを感じる。
恐怖。

自然への恐怖と畏敬。

でも
これはただの自然現象なんだ。

怖れなくてもいい。
怖れてもいい。

・・・・・・・

そんなイメージ。
遊び。



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