家族へ宛てた手紙としてのパパち通信

昨日も
家族でプールに行ってきました。

やっぱり全身が
筋肉痛ですね。

パパちです。

◇◇◇

今日で
7月も終わりということで

パパちのお誕生月間
最後の1日です。

今日もどこかへ出かけて
楽しみたいと思います。

◇◇◇

毎日
何かしら思いついたことを

楽しく
ブログに書いています。

今は奥さんが読んでくれていますが

いつの日か
子どもたちがこれを
読むこともあるかもしれません。

そんなとき
ちょっとでも
何かのヒントになればいいな

という思いもあります。

今ブログのカテゴリを
「パパち通信」として
書いていますが

それは
家族へ宛てた手紙
という意味合いもあります。

まぁ
自分が逆の立場だったら

父親の日記帳を開けて読むか
という気もしますが

やっぱり
いつの日か
気になって読んじゃうでしょうね。

身内の日記とか手紙って
なんかこっぱずかしいもんです。

でも誰が読むか
というのに関係なく

ただただ
自分が楽しくて書いているものが

結果的に
他の誰かのヒントになることがあれば
それはうれしいものです。



アイロンをしながら「中今(なかいま)」について考えてみました

昨日に引き続き

早朝
冷水シャワーの禊祓(みそぎはらえ)を
やってみました。

パパちです。

◇◇◇

やっぱり
ひやっとしますが

乾いたあとは
逆に
体がぽかぽか温まる気がします。

◇◇◇

綿や麻のシャツを
アイロンがけするのが好きです。

素材のさわり心地も好きですし
少しずつパリっとなっていくのも
いいもんです。

それから
ある意味
無心になれますよね。

そこに集中しているという。

神道で言うところの
「中今(なかいま)」ですね。

今この瞬間。

昨日に引き続き
古神道研究科
矢加部幸彦氏の書籍から引用してみます。

「神道には「永遠の中今(なかいま)」という言葉もあります。
「永遠の中にある今という瞬間はその内に永遠を宿し、過去も未来もすべて今の中にある」という意味です。
今を大事にすることが、過去も未来も大事にすることなのです。」
(『神ながら意識』より)

というのも
さっきアイロンがけをしていて

いろいろ
考えごとをしてしまっていました。

別にいいんですけどね。

でも
意識が遠くへ行って
思考がぐるぐる巡っていました。

日々の生活や仕事やなんかで
いろいろあると思いますけど

過去や昨日のあれこれを
いろいろ考えたところで
どうにもなりませんもんね。

今この瞬間に意識を向ける。

やはり
前出の言葉ですよね。

「今を大事にすることが、過去も未来も大事にすることなのです。」

今を大事にすることで
過去の出来事まで
良くなってしまう。

こんな現象は多々あります。

単に
アイロンがけをする
という行為を見ても

いろんな気づきがあるな
と思いました。



冷水シャワーの禊祓(みそぎはらえ)は、気がしゃきっとする思いがします


この本にはまっています。

古神道研究科である
矢加部幸彦氏の
神ながら意識』。

パパちです。

◇◇◇

日本古来の神社やそういったものに対し
昔の日本人がどう接していたかが
分かりやすい言葉で書かれています。

難しいことを
この方自身の言葉で
書かれているという印象です。

自分の言葉で語るというのは
大事なことですよね。

昨日ふと目にとまった一節を
一部抜粋。

「(前略)
道を行く者 その歩みし後は 羽衣の香りの漂うがごとく
(中略)
いつしか道を行く者は その意味を問い続けることも忘れ 道そのものとなる
(後略)」
(同書より)

◇◇◇

その本の中に
日常でもできる禊祓(みそぎはらえ)が
紹介されていました。

禊祓というのは
たとえば

昔の日本人が
神社へ参拝するのに
衣服を脱いで川で身を清めた

というような
ものです。

「穢(けが)れ」を「祓(はら)う」
ということです。

今を生きていなくて
「ケ(気)」が枯れたりしたとき
(「気離(けが)れ」ともいう)

その囚われを解き放つという

「身削(みそ)ぎ」であり
「水注(みそ)ぎ」でもあり
「霊注(みそ)ぎ」でもあります。

(今を生きていなくて)
気掛かりがあれば気が枯れ
生命の振動数が低下する。

その不快からの脱却です。


その禊祓ですが
日常でもできるものが紹介されています。

その一つが
朝の冷水シャワー。

やってみましたよ。
(ちょっと簡略した我流ですけど)

滝行の簡単バージョン
みたいなものですかね。

衣服を脱いで
胸から鎖骨のあたりに少し粗塩をぬり

手から順番に
シャワーで冷水をかけていきます。

できれば祝詞
(のりと:神主さんが言うような言葉)
も言ったりするといいみたいです。

時間にして
ほんの1分弱くらい。

ちょっと勇気がいりましたけどね。
気がしゃきっとしますね。

ちなみに
朝顔を洗うのも
簡略された禊ともいえるそうです。

これを毎朝続けるかは
ちょっと
身体に相談してみます。

あと
昔の日本人の在り方について
こんな記述がありました。

一部抜粋。

「(前略)ケガレが生じたらそのたびに禊(みそ)いで祓(はら)って神の在り方にならい、神さながらに生きようと決意を新たにする。常に生まれ直し、何度でも生き直しをして、弥栄(いやさか)のために働いてきたのです。(後略)」
(同書より)

ちなみに
弥栄(いやさか)とは
同書によると

「いよいよ栄え、ますます繁栄する」
という意味です。