小学校のときの記憶で、ミニ四駆に没頭していたころを思い出します

朝日に照らされた
雲がきれいですね。

風も
すずしいです。

パパちです。

◇◇◇

今朝の明け方
長い夢を見ていました。

昔通っていた小学校の中を
いろいろ見て回る夢。

けっこうリアルで
懐かしい感じでした。

夢の中なので
やけに隙間の空いた階段に
ヒヤッとしたり

なぜかサンドイッチ的なものが出てきて
ばくばく食べたり。

◇◇◇

そういえば
夢って

感情を体験させるために

脳が映像を組み合わせている
って説も
あるみたいですね。

要は
リアルな世界と同様

感情を感じるために
いろんな現象が起きている。

それは夢の中も同じ
という。

おもしろいですね。

そういえば
最近

外を歩いていて
ふと
小学校の頃の記憶が浮かぶことがあります。

ミニ四駆に夢中になっていたり
友だちと公園で遊んでいたり
家族で川に入ったり

そんな懐かしい記憶。

そして
そんな何かに没頭しきっていた感覚が
ふと蘇ってきて

何かこう
頭の耳の後ろらへんが

じわじわ〜っとくるような
満足のスイッチが入ったような
感覚になることがあります。

ちょうど
フォローの状態の心地よさ。

感情の先取りですね。

人は何かを得ようとか
何かを成し遂げたいとか
思いますけど

結局
その行き着く先は

幸せを感じたいとか
自由を感じたいとか
安心したいとか

そういった
感情になると思うんです。

だったら
先にそれを味わっちゃえば
っていうことです。

そういう意味では
昔の記憶で

一種のフロー状態を体験できるのって
なんか
おもしろいですね。

得たいと思っている
感情を先に感じてしまう。

自分の中では
おもしろいので

もうちょっと
いろいろ
体験してみようと思います。



感情表現の機会を奪っていたという視点

昨日
息子がめっちゃ早く寝たので

今日は
めっちゃ早起きさん。

パパちです。

◇◇◇

早朝から
テンション高いですね。

仕方がないので
一緒に遊ぶことにします。

◇◇◇

昨日
どなたかのブログで

父親の怒る機会を奪ってしまっていた
という内容を読みました。

趣旨はざっくり
こんな感じです。

その人の父親が癇癪もちで
いつも怒っていた。


そんな父親が怒らないように
前もって

あれこれ考えて
行動して
なんとかそれを回避しようとしていた。

でも
今よくよく考えると

怒りを回避しようとする行為は

父親が怒りたかった
という願望のようなものを
奪うことになっていたんじゃないか

という
気づきでした。

この内容
深いなぁと思いました。

人の感情表現の機会を
奪っていた可能性がある
ということですよね。

うまく言えないですけど
何か
刺さるものがありました。

解釈が
おもしろいです。



起きている現象はさほど意味を持たないのではないか、という気さえします

本を読むのは

そういえば
子どもの頃から好きだったな


ふと思い出しました。

パパちです。

◇◇◇

小学校の図書館や
地元の私立図書館の記憶。

そういった
ささやかながらも
あたたかい記憶があるのは

やはり
いいものです。

◇◇◇

村上春樹さんの小説
『海辺のカフカ』を読んでみて

これまで何回か読んだときとは
また違った読後感がありました。

それは
ちょうど

一周回って
またそこを通りかかったとき

今まで見えていなかったものに
気づいた
という感覚です。

これまでは
小説の中で起きている現象について

これは何を意味するのだろう
とか

この現象に
何かしらの違和感がある
といった箇所がありました。

でも
実は

そんな現象自体は
さほど意味を持たないんじゃないか


そんな風に
今は思います。

小説の中で
登場人物の大島さんは

「世界はメタファーだ」
と言います。

世界はただの比喩として
表現されているにすぎない
と取れます。

そして
岸見一郎さんの『嫌われる勇気』には

人生に意味などない

という表現が
出てきます。

昨日
電車に乗っていて

ふっと
何かが腑に落ちた気がしました。

こうやって
日々
電車に乗ってどこかへ行く

という行為すら
それ自体に
意味はないんじゃないかと。

毎日長い時間電車に乗っていても
逆に
乗っていなくても。

もちろん
それは
日々のあらゆる行為を含みます。

人がやっている行為
もしくは
起きている現象は

実は
さほど意味を持たないのではないか
と。

つまり
世界はメタファー
だということです。

それが本質ではない。


あれば

人の行為や
世の中の現象に
一喜一憂することもなければ

振り回される必要もない。

だって
それはメタファーだから。

今回
『海辺のカフカ』を読むことで

何かこう
新しい世界が開けた気がしました。

自分は世界の一部であり
場合によっては
世界そのものである

という
感覚にも近いかもしれません。