自由の象徴で自由ごっこをするのが楽しいのかもしれない

秋っぽい空
ですね。

でも夏の
空気の湿度も感じます。

このアンバランスさが
季節の変わり目なんでしょうかね。

パパちです。

◇◇◇

何事もバランスが大事だと思います。

中庸(ちゅうよう)
ですね。

でも
あらゆるものの
アンバランスさの中にこそ

物事の本質が隠れているんじゃ
ないか

そんな気もします。

◇◇◇

「自由なるものの象徴を手にしていることは、自由さそのものを手にしているよりも幸福なことかもしれない」
(村上春樹氏『海辺のカフカ』より)

なんか
ハッとさせられる言葉です。

誰も
本当は
心の底では

自由なんか求めていないんだ
とも取れますね。

自由とは
ある角度では
恐怖になりえますからね。

自由なるものの象徴を手にして
または
手に入れようとして

自由ごっこを楽しんでいるのが
幸せなんじゃないか

そんな
風に聴こえます。

そう
例えば

子どもがヒーローごっこを
すように。

心の底では
誰も
悪と戦いたくないのかもしれない。

そもそも
悪とは何か。

そんなヒーローごっこ
正義ごっこ
が楽しんじゃないか。

象徴を手にして
象徴になりきることこそ
求めていることで

それ
そのものにはなりたくない。

最近
「自由」というキーワードを
ちょくちょく目にします。

深くて
おもしろいテーマですね。



息子とやる、信号がかわる3、2、1ゲームが楽しい

2歳の息子が

3、2、1、ハイッ!
のタイミングで
信号が青に変わるゲームが気に入っています。

リアクションが
楽しいです。

パパちです。

◇◇◇

横断歩道で信号待ちしているときに
パパちの合図で

3、2、1、ハイッ!ってすると
信号が青に変わるのを見て

息子が
とても喜んでくれます。

◇◇◇

最近は
自分でもやりたがって

横断歩道に来ると
「3、2、1するー」って言って
やってます。

意外と
むずかしいですよね。

初めての信号や
右折矢印のある信号とか
タイミングがむずかしいです。


もちろん息子は

横の信号を見て
タイミングを計るなんて
当然知らないわけですから

(知っててもむずかしい)

最近は
パパちがそのタイミングを見計らって

3、2、1やろう!って
誘って
息子にやってもらったりします。

これ
パシッと決まると
息子が喜びますよね。

パパちも
うれしいです。

これのポイントは

横の信号のタイミングも
もちろんですが

パパちが声がけして
息子が
3、2、1って始めるタイミング

それから
その速度なんかも計算に入れておかないと
当然ビシッといきません。


もうひとつポイントは

最後のハイッ!
のタイミングを長くとって

パパちの
やったーできたー
というリアクションで

できたと思ってもらう
というところもあります。

誤差1、2秒くらいは
成功です。

なんか
長々と書きましたけど

日々のこんな
ささいなゲームが楽しいです。

このゲーム
息子より
パパちの方が楽しんでいるかもしれません。



文章を読んでいるその最中こそを楽しむ

昨日は
夕方

急に激しい雨が降ってきました。

湿度の高低が
すごいですね。

パパちです。

◇◇◇

駅のホームに立っているだけで

霧状の
雨が吹きつけてきます。

暑いので
むしろ気持ちいいくらい
ですけどね。

◇◇◇

そんな駅のホームで
『海辺のカフカ』の続きを読んでました。

たまに小説を読むと
いいですよね。

いろんな感情が刺激され
いろんな記憶がよみがえります。

同じ本を何度も読んでいると

毎回初めての文章に
出会う気がします。

読むたびに
新しいもののように感じる。

いいものです。

その小説の中で
少年が
夏目漱石を読むシーンがあります。

ちょっと抜粋します。

「閲覧室に戻って『虞美人草』の続きを読む。僕はもともと速く読む読書家ではない。時間をかけて一行一行を追うタイプだ。文章を楽しむ。文章が楽しめなければ、途中で読むのをやめてしまう。」
(村上春樹氏『海辺のカフカ』より)

文章を楽しむ。

これ
いいですよね。

以前読んだときは
気にもとめない箇所でした。

読むたびに
新鮮な発見があります。

まさに
今の自分が
その状態です。

ストーリーうんぬんというよりも
その一行一行を楽しんでいる。

最近は実務書とか
そういう類の本ばっかり読んでいたので

しばらく
小説をいろいろ読みたいな
と思います。

普段感じない
刺激をもらえますね。

そして
普段使わない
感情を刺激されます。