専門と言われている分野を専門としない専門家もいいですね

いつだったか
ネットで見たやり取り。

ママからパパへのメール
「○○(息子)が寝返った!」

ネットのリアクション
「謀反(むほん)じゃあー!!」
「裏切りおったな」
「息子とて容赦はせぬぞ」

しょーもないけど
微笑ましいですよね(笑)

パパちです。

◇◇◇

娘が寝返りました。

というか
寝返ったのを目撃しました。

前々から
寝返ってはいたんですよね
たぶん。

でも
なかなかその姿を見せぬ(笑)


昨日やっと

娘の寝返る様子を
目撃できました。

子どもあるある
らしいですけど

親が見ていない寝返りは
ノーカウント(笑)

◇◇◇

最近
漠然と考えていること。

それは

専門と言われている分野を
専門としない専門家がいても
おもしろいな

ということです。

例えば
治療をしないお医者さん。

税金の計算をしない
税理士さん。

お茶をたてない
茶道の先生。

なんでもいいんですけど

世間一般で求められている
ことを

あえてしないというのも
いいですね。

これも
例えばですけど

その専門家と
ただ話をするだけで

問題だと思っていたことが
そもそも問題ではなかったことに
気づく

とか
おもしろそうですよね。

茶道は教えてもらわないけど
茶の心を身体で感じた
とか

株の話は一切しないのに
ただ一緒にごはんを食べるだけで
投資の本質に気づいた

とか。
なんでもいいんですけどね。

イメージで言うと
コーチングが近いですかね。

対話をすることで
相手の自発的な行動を促す
というような。

相談される側が
圧倒的なスケールのストーリーを
物語っていて

クライアントが
そこに
ただただ質問を投げ入れていく。

その行為が
結果として

クライアントの問題の
解決につながる

あるいは

問題と思っていたことが
実は本質でなかったことに気づく

そんな世界も
あってもいいかもしれませんね。

パパちの泉という
壮大なスケールの物語があり

その泉に
ただただ言葉を投げ込んでもらう。

そこから
何が出てくるか

あるいは
何も出てこないかは

投げ込んだ人にしか分からない。

あまりに
漠然としすぎていますけど

自分の中では
こんなことをやってみたいな
と思っています。



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