ブログでもなんでもいいんだけど、
表現ができるというのは
やっぱりいいなと思う。
インプットばっかりに偏ると
なんとなく落ち着かないしね。
不完全燃焼を起こしそう。
過去には、
学生時代の受験勉強のときなんかには、
いろいろ文章を書いたり、
曲を作ったりしていた。
とくに誰に見せる、聞かせる
というわけでもないんだけど。
たぶん、無意識に、
インプットとアウトプットのバランスを
保とうとしていたんだと思う。
村上春樹さんの小説『羊をめぐる冒険』に
次のような場面がある。
「僕」が羊博士のもとを訪れた際に、
羊博士が「僕」にこう訊ねる。
「君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?」
(『羊をめぐる冒険』より)
そして、地獄だよ、
と言う。
この小説を初めて読んだのは
たぶん大学生の頃だったと思う。
なかなか深く印象に残る言葉だった。
表現について
いろいろ考えを巡らせるきっかけになる。
村上春樹さんの小説をいろいろ読んで、
そのどれもが、見えない”悪意”を
扱っているように感じた。
表現こそ違えど、
一貫して何かを貫いているというか。
この”悪意”については、イギリスのバンド
Radiohead(レディオヘッド)の
トム・ヨーク氏がそう言っていた。
一貫して”悪意”を描いていると。
(「ダークなもの」という表現だったかな)
アルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ
(Hail to the Thief)』の日本版解説文
(ライナーノーツ)で読んだ記憶がある。
この描き方って
憧れる部分がある。
本当に描きたいことは直接描かずに、
その外堀を来る日も来る日も埋めていく。
そして、作品として積み重ねていく。
まぁあくまでも、
自分の想像の域の話なんだけど。
そういえば、村上春樹さんは
小説についてこう語っていた。
「それは「たとえば」を繰り返す作業です。ひとつの個人的なテーマがここにあります。小説家はそれを別の文脈に置き換えます。」
(中略)
「しかし小説家に言わせれば、そういう不要なところ、回りくどいところにこそ真実・真理がしっかり潜んでいるのだということになります。」
(『職業としての小説家』より)
おもしろい。
レベルの差はともかくとして、
自分も、本当に言いたいことを
あの手この手で表現していけたらと思う。