小学生の頃、
3階の教室の窓から木が見えた。
すらっと伸びた背の高い木。
どこにでもありそうな、
細長い円錐型(三角形)をしたもの。
その木が、
とても存在感があって、
友達が「絵になる木」
だと言っていた。
何気ない日常やその風景を
そうやって表現していくというのは
いいなと思う。
その友達は、
音楽だとか美術の感性にあふれていた。
なんとなく
そんなことを思い出しながら。
いつも思う。
朝の電車は、
すごいなぁと。
人の勢い。
電車の乗り換えで、
到着した電車から、
全力で改札に向かって走る人。
年始の福男か
っていうくらいの勢いで
走ってくる。
あと、
昨日見た光景。
朝、道路を走る車が、
道路沿いの(たぶん)職場に
駐車をしようとしていた。
それを邪魔に思う2台の車が
左右からクラクションなどで
煽る。
でも、
駐車をしようとしたその年配の女性は、
さわやかな笑顔で、
どうも~っていう顔をしていた。
待っていてくれてありがとう、
と言っているように見えた。
いいよね。
周りから煽られようと、
自分のペースで動く。
周りのいらだちに
自分を合わせない。
ラジオで例えるなら、
不快な周波数に
自分を合わせない。
いらだっているというのは、
結局その人の都合でしかない。
そんな人や、不安感を煽る人、
まぁ何だっていいんだけど、
自分が望んでいない状況に
反応しないというか、
周波数を合わせないというか。
あるいは、
先ほどの年配の女性のように、
一見煽っているように見える状況を、
待っていてくれてありがとう、
と見るか。
人は目に映る世界を
選ぶことができる。
それは、
結局、解釈でしかない。
同じように、
言葉の響きも影響を与える。
以前、
祝詞(のりと)を
作ってみようと思ったことがあった。
祝詞っていうのは、
お宮参りやなんかで、
神社の宮司(ぐうじ)さんが言う
かけまくも~、
かしこみ~かしこみ~、
っていう言葉。
大和(やまと)ことばや
歴史的仮名遣いを用いたもの。
京都岩清水八幡宮
宮司の田中恆清さんが、
祝詞を作る流れをこう紹介している。
「文頭は、申し上げるのも畏れ多いという意味の「掛けまくも畏き」から入り、自分の名前を入れて、文章の最後は「恐み恐みも白す」と文頭と同じように、畏れながら申し上げますと締めます。本文は神様への感謝や自分の思いを織り込んでください。」
(『神様が教えてれた幸運の習慣』より)
(読み:「かけまくもかしこき」、
「かしこみかしこみもまうす」)
そこで、
例文を参照して、
自分なりに
基本の形を書いてみた。
<何某>は自分の名前を入れる。
「掛(か)けまくも畏(かしこ)き
<何某>
恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まう)さく
〇〇を平穏(おだひ)に守り導き給(たま)へ
と恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まう)す」
意味は、
おそれ多いけれども、
○○を平穏に守ってください
というような内容。
ざっくり。
普段こういった言葉は使わなくても、
ただ知っているというだけで、
なんだか世界が広がるような気がする。