無意識に選んでしまうこと

最近、スピッツの「鈴虫を飼う」
という曲が頭の中をめぐる。

2枚目のアルバム『名前をつけてやる』
に収録されている曲。1991年発売。

メロディーもさることながら、
草野マサムネさんの歌詞が好き。

たとえば、出だし。

「天使から10個預かって」
から始まる。

なんか、これがメロディーに乗ると
すんなり響いてくる。

預かって、という言葉、
いいよね。

モノでも地位でも人でも、なんでも、
自分のものではなく、
預かっている、という感覚がいい。

草野さんの意図するところは
分からないけど。

今朝、
ほんとに無意識に
ネクタイとジャケットを選んでいた。

一応頭では、今日はこの人に会うから
ストライプのネクタイをしようと思って
なんとなくは決めていた。

ジャケットも、シャツに合わせて、
これにしようと思っていた。

ところが、どっちも、
違うものを選んでいた。無意識に。

こういうときは、
素直にそれに従うのがいいよね、
と思う。

まぁ、単にぼーっとしていただけ、
とも取れる。

でも、そのぼーっとしている状態
っていうのは、案外
大事なんじゃないかと思っている。

自分からの
なんらかのメッセージかもしれない。

以前読んだ、
元格闘家の須藤元気さんの本が
おもしろかった。

『無意識はいつも君に語りかける』。

詳細はすぐに思い出せないけど、
おもしろかったというのは覚えている。

「世界はあなたの投影物であり、
幸福になるのも不幸になるのも
あなた次第」という内容。ざっくり。

易経に興味を持ったのも、
須藤さんの本の影響だったように思う。

ただ、この本、最後に、
本当は無意識は語りかけたりしない、
という表現(仕掛け)をしていて、
なかなか手の込んだ本。

ともあれ、
言いたかったのは、

自分の周りのモノや人、言葉は、
すべて自分自身から自分自身へ
発せられたものであるということ。

漫画版『風の谷のナウシカ』
の中にこんな言葉が出てくる。

王蟲がナウシカに語りかける場面。

「我が一族は、個にして全、全にして個…
時空を超えて心を伝えてゆくのだから…」

個であってもそれは全て。
全ては個でもある。
あるいは、自分は世界であり、
世界は自分自身である、とも解釈できる。

作者である宮崎駿さんの
意図するところは分からないけど。

そういえば、学生の頃、
斉藤和義さんの「無意識と意識の間で」
という曲を聴いていた。<間(はざま)>

その中の歌詞、
「僕を子供にかえしてよ」

というのが、今になって
少し分かるような気がする。

無意識と、子供にかえること。
ゆるやかにリンクする。



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