全体としての循環

昔、学校の授業で、
生態系や種の話は
おもしろいなと思った。

ダーウィンの種の起源や
進化論。
その真偽も含めて。

今でも
たまに頭に思い浮かぶ。

この前、
カメレオンが長い舌で
バッタをとらえる映像を見た。

これを
ある人は、バッタがかわいそう
と見るかもしれない。

また、ある人は、
自然の摂理、弱肉強食だろう
と見るかもしれない。

思ったのは、

食べても、食べられても、
その捕食の連鎖は、

全体の循環という意味では、
一緒ではないかということ。

個々としては、
食べる、食べられるという関係。

でも、全体としては、
生態系として循環している。

進化の方向に進んでいる。

個にして全、
全にして個。

最近、
次のような記事を読んだ。

Yahoo!知恵袋のまとめ
「なぜ弱者を抹殺してはいけないのか?」。

長いので、
部分部分を
自分なりに書いてみる。

自然界が弱肉強食なら、
なぜ人間の世界では
それが行われないのか、という質問。

その回答がこんな趣旨。

そもそも自然界は、
「弱肉強食」ではない。
種レベルでは「適者生存」である。

強いものではなく
適したものが残る。

たとえば、ウサギは繁栄し、
トラは絶滅の危機に瀕している。

適者生存という意味では、
ある特定の個体が外敵に
食べられようと関係ない。

遺伝子をつなぐことが大切。

人間は、社会性という戦略で、
子孫繁栄の可能性を最大化している。

個々が弱者であっても、
生存戦略としは成功している。

ざっくり
こんな感じ。

おもしろいね。

あと、
全体と循環という視点から
ちょっと考えてみた。

たとえば、
世の中を航海で考えてみる。

生きていくうえで、
1人で航海してもいいし、
大船団に所属するのもいい。

仮に、
所属していた大船団から飛び出して、
(または、はじき出されて)

その後、
自分1人で航海するのも、
他の大きな船に拾ってもらうのも自由。

もちろん、
大船団から出るにあたって、

個々のレベルでは、
お互いにいろいろあるかもしれない。
生理的な相性とか、感情のもつれとか。

でも、結果的に、
元いた場所より、
適材適所の関係になっているかもしれない。

航海という
「全体」で見た場合には、
お互いいい結果で進んでいくかもしれない。

適材適所の循環。

具体的に書くと
いろいろむずかしいので、
なんとなくイメージで書いてみた。

今朝のくもり空。

20151224a

なぜ弱者を抹殺してはいけないのか? Yahoo!知恵袋の回答が秀逸すぎる – ViRATES [バイレーツ]



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