歩きやすい道を歩く

ときどき、
ちょっとしたときに、
「老子」を読んだりする。

ぱらぱらっと。

今日は、
第53章の一文が気になった。

「大きな道はとても平坦で歩きやすいのに、人びとは知恵をめぐらして近道の小道をゆきたがるのだ。」
(金谷治さん『老子』より)

そのとき
頭の中でリンクしたのは、
心屋仁之助さんの本。

正確な表現は思い出せないけど、
だいたい次のような内容。

昇りのエスカレーターがあるのに、
なんで、下りのエスカレーターを
必死になって駆け上がるのか。

みたいな。

初めて読んだときは、
ちょっと衝撃だった。

よくビジネス書なんかでは、

立ち止まったら
それは死を意味する、

みたいな比喩が
使われたりする。

マグロは
泳ぐのをやめたら死んでしまう
とか。

つねに全力で駆け上がれ、
とか。

それなのに、

昇りのエスカレーターに
乗ったらいいじゃん、

みたいな発想があるんだ
というのに驚いた。

今まで
狭い世界で生きていた
と感じる。

あと、
ちょっと自分の中で、
リンクしたのが、

村上春樹さんの
短編小説の中の一文。

「それにしても変なものだな、と僕は思う。金なんていらないと思ったとたんに金が入ってくる。」
(『中国行きのスロウ・ボート』「午後の最後の芝生」より)

むかし読んだときと、
感じ方が違うように感じる。

若い頃より、
いろんなものを
俯瞰的に見られる。

今いろいろ考えているのが、

仮に「お金」というものが
世の中に存在しないとした
場合の世界のこと。

お金がないと仮定。

すると、
何か手に入れたいものが
あったとして、

それを手に入れるためには、
どうすればいいか。

魚が食べたい。
海まで魚を釣りに行くか。

水が飲みたい。
井戸から汲むか、蒸留するか。

そんな世界のあり方を
想像したりする。

お金に依存している人間を
客観視してみる、
という意味もある。

いろいろ
仮説を考えてみたい。



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