記憶の中のショパン

最近、
ゾウのことばっかり
書いている気がする。

ふだんネットを見ていて、
気になるとエバーノートに
放り込むからだと思う。

エバーノートのロゴが
ゾウ。

ネット上のメモ帳。
なんでもかんでも放り込めるので
重宝している。

あと、村上春樹さんの
小説の中の隠喩(メタファー)として、
象がよく出てくるのもあると思う。

もうちょっと言うと、
漫画ワンピースの
「ゾウ」の影響もある。

なんだか、
ゾウばっかり。

ところで、

先日、
ショパンの「雨だれ」を
聴きたいと書いてから、

YouTubeで、
いろいろ聴いてみた。

アマチュアの方の演奏も含めて、
20パターンくらい。

「雨だれ」ばっかり。

というのも、
記憶の中で響いていた
演奏と、

近いものが、
意外とないもんだなぁ、
と思ったから。

20人いると、
20人それぞれの演奏がある。

どれが優れているとか、
そういうのではなくて、

それぞれに、
それぞれのイメージが
あるんだと思う。

明るく軽やかな「雨だれ」。

ゆっくり静かに
沈み込むような「雨だれ」。

どれも、
個性があってすばらしい。

そもそも、
自分の記憶の中の演奏
とは何だろう。

それは、
おそらく、

中学生くらいのときに
親戚のおばさんに買ってもらった
ショパンのCDのような気がする。

そのCDの中に入っていた
ショパンの演奏が
身体に刷り込まれて、

それを、
無意識に探し求めて
いるような気がする。

もちろん、今、
実際にそのCDの演奏を
聴くことができたとしても、

同じようには
感じないかもしれない。

長い歳月を経て、

記憶の中で、
事実の書き換えや解釈の違いが
生まれているかもしれない。

むかしの記憶って
当てにならない。

そうそう、
ちょっと思い出したこと。

自分が小さかった頃、

家の中で、
ビートルズのテープが
流れていた。

たぶん、
「ザ・ビートルズ 1962年~1966年」
通称「赤盤」だったと思う。

そのレコード(LP)を
家で録音したテープで、

たしか、「抱きしめたい」
(「I Want To Hold Your Hand」)

という曲が、
テープのA面に収まりきらずに、
演奏の途中で切れていた。

そして、
ガチャッと裏返ってから、
また演奏が途中から始まる。

(テープには、
A面、B面がある)

で、物心ついてから、
自分でその曲を聴いたり
したんだけど、

そのとき聴いたテープの
切れ目のところに来たら、

どうしても、
演奏が止まりそうな気がして
仕方がなかった。

さすがに、
今はもうそんなことはないけど、

(切れ目も忘れた)

子どもの頃に聴いた
音楽の記憶って、

けっこう、
そういった、ささいな影響を
与えたりするもんだなと思う。

ショパンの演奏しかり、
途中で切れるビートルズしかり。

こんなことを書いたのも、
なんていうか、

こうやって文章を書いていると、

ときおり、
小学生くらいの頃に還っていく
感覚があるから。

子どものような妄想。

本田晃一(こーちゃん)さんが、

最近の
熱くて長いメルマガの中で
こんなことを書いていた。

「文章としてはダメだろうけど、
本音が混じると口語調になっちゃう(笑)」

「ですます調」の中に、
「口語調」が混じってしまう。

なんとなく、
そんなイメージ。

本音。
口語。
子どものような妄想。

このブログが、
「ですます調」じゃないのは、

もちろん、
「…あたまの中」というタイトルで、
ですます調じゃおかしい、

っていうのもあるけど、
(他人に語るという形ではない)

それ以外にも、

本音の部分が
書きやすいから、
というのもあると思う。



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