人も羨むその「輝ける明日」なんて

ネットで見た、
北野武さんの言葉。

北野武さんが「夢を叶える事」について言及。その内容があまりにも深過ぎると話題に… – THE MOVIE HOUSE

出典や内容の真偽はともかくとして、
おもしろい。

気になった部分を引用。

「夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、
それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。

ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、
いつまで経ってもやってこないというのに。

(中略)

夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、
生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
俺は心の底からそう思っている。

どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。
慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。
人生はそういう風にできている。」
(上記リンクより抜粋)

夢なんてなくてもいい。

昨年、
いろんな人との出会いがあり、

これでいいんだと納得して、
ずいぶん気持ちが楽になった。

もちろん、
夢を追いかけている、
まさに「今その瞬間」が、

楽しければ、
それは「今日を犠牲にする」
ことにはならない。

大きなビジョンをもち、

今目の前のことに
いちいち感動していたら、

結果として、
思ってもみなかった
予想以上の現実になっていた。

結局、
ここなんだろうと思う。

大きなビジョンをもつこと。
そして、
今この瞬間を楽しむこと。

このビジョンというのは、
単に、

お金を稼ぎたいとか、
あれが欲しいとか、
そんなことではない。

たとえばだけど、

世界中の人がこうなったらいいよね、
とか、

100年、1000年先、
こうなっていたらいいよね、
とか、

そういう話。

引用の中の
「お袋のオニギリ」の話もそう。

あれこれ外食して、
いろんなおいしいものを
食べるのも楽しい。

でも、
奥さんが作ってくれたごはんを、

家族そろって
食卓を囲って食べる幸福感には
及ばない。

比較うんぬんの
話ではないんだろうけど、

そう思う。

朝、目を覚まして、
息子がひとしきり遊んだ後、

おなか空いた~と言う。

じゃ、ごはんを食べようか、
と、

みんなでダイニングテーブルにつく、
そんな瞬間。

そういう
日々の場面、場面。

つまりは、
そんなこと。

・・・・・・・
20160226a

リーバイス501 ハチマル後期の内タグ。

デニムの内側に、
洗濯の注意などが書かれている。

「544 099-…」
「501-0000」

この「544」というのは
作られた工場を指すと言われている。
アメリカのどこかの工場。

「099」というのは、
1989年9月に製造された
ことを指すと言われている。

リーバイス501は、
その長い歴史の中で
いくども変更が行われてきた。

このタイプ(ハチマル後期)は、
1980年代後半頃から、
1990年の中頃までの数年間
製造されていたと推測している。

「099」のうち、
はじめの「09」は製造月、
後の「9」は、1989年の最後の「9」
を指すと思われる。

「501」は、
製品の品番。

「0000」は、
防縮加工のされていない、
未洗い糊付きのものを指す。

あれこれ言い出したら
きりがないけど、

こんなことを
想像するだけで楽しい。

その時代に想いをはせる。



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