人生は何かに気づくためのゲームだという仮説


あたたかいコーヒーを
飲んでいて

なんやかんやいている間に
冷めてしまうことがあります。

でも
その常温のコーヒーが
思いのほか

おいしいな
と思うことがあります。

パパちです。

◇◇◇

もうちょっと
言うと

今飲んでいるコーヒーは

あたたかい温度より
常温か
または

やや冷たいくらいの温度の方が

豆の苦みが引き立って
おいしいなと感じます。

温度の加減ですかね。

それとも
飲むときの心境みたいな
ものでしょうかね。

おもしろいです。

◇◇◇

最近
うすうす感じていること。

それは
人の一生というのは

何かに気づくための
ゲームのようなものなんじゃないか

ということです。

ちょっとした
仮説です。


その何か
というのは

人それぞれ違うのかもしれません。

あるいは
実は誰にでも共通のものかも
しれません。

ドラクエや
ファイナルファンタジー
といった

RPG(ロールプレイングゲーム)
みたいなものですね。

街の人や
洞窟の奥のメッセージから

ヒントを読み取って
その意味することに
気づく。

・右の草むらを見てみなさい
・石像の下を調べてみなさい
・そこでクリスタルを掲げなさい

なんて
ゲームでよくありますよね。


そのヒントに気づくことが
できる人は

その先の
冒険に進むことができます。

ヒントに気づけない人は
延々
同じ場所を

うろうろうろうろ
して回るしかない。

次に進むためには
これこれするんだよ
という

メッセージを
伝える役割の人がいる。

それは
街の商人かもしれないし
洞窟の奥の魔獣かもしれない。

そこで
そのヒントに気づくと

その商人や魔獣の
役割は消える。

逆に言うと

それに
気づかない限りは

街の人は
延々
同じことを言い続け

魔獣は
いつまでも襲いかかってくる。

なんだか
この世の縮図のようですね。

もし目の前に
うだうだうだうだ
言う人がいるとしたら

懸命に
何かを教えてくれているのかも
しれませんね。

先に進むためには
これに気づけよ
と。

ゲームって
攻略本なんかが
あると

わりあい
簡単にクリアできますね。

でも
あえて

それに頼らないポリシーの
人もいると思います。

そもそも
そんな攻略本の存在すら
気づいていない人もいます。

これは
どれが良い悪い
という話ではありません。

ただ
考え方の幅は無限ですね

ということです。

何かに気づくという
ゲーム理論。

仮説。

ぼくの中では
おもしろいので

もうちょっと
考えをめぐらせてみたいと思います。



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