起きている現象はさほど意味を持たないのではないか、という気さえします

本を読むのは

そういえば
子どもの頃から好きだったな


ふと思い出しました。

パパちです。

◇◇◇

小学校の図書館や
地元の私立図書館の記憶。

そういった
ささやかながらも
あたたかい記憶があるのは

やはり
いいものです。

◇◇◇

村上春樹さんの小説
『海辺のカフカ』を読んでみて

これまで何回か読んだときとは
また違った読後感がありました。

それは
ちょうど

一周回って
またそこを通りかかったとき

今まで見えていなかったものに
気づいた
という感覚です。

これまでは
小説の中で起きている現象について

これは何を意味するのだろう
とか

この現象に
何かしらの違和感がある
といった箇所がありました。

でも
実は

そんな現象自体は
さほど意味を持たないんじゃないか


そんな風に
今は思います。

小説の中で
登場人物の大島さんは

「世界はメタファーだ」
と言います。

世界はただの比喩として
表現されているにすぎない
と取れます。

そして
岸見一郎さんの『嫌われる勇気』には

人生に意味などない

という表現が
出てきます。

昨日
電車に乗っていて

ふっと
何かが腑に落ちた気がしました。

こうやって
日々
電車に乗ってどこかへ行く

という行為すら
それ自体に
意味はないんじゃないかと。

毎日長い時間電車に乗っていても
逆に
乗っていなくても。

もちろん
それは
日々のあらゆる行為を含みます。

人がやっている行為
もしくは
起きている現象は

実は
さほど意味を持たないのではないか
と。

つまり
世界はメタファー
だということです。

それが本質ではない。


あれば

人の行為や
世の中の現象に
一喜一憂することもなければ

振り回される必要もない。

だって
それはメタファーだから。

今回
『海辺のカフカ』を読むことで

何かこう
新しい世界が開けた気がしました。

自分は世界の一部であり
場合によっては
世界そのものである

という
感覚にも近いかもしれません。



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