ただの背景となる不思議

街中などで、
人とすれ違う際に、

人が
ただ単に背景のように
過ぎ去っていくことが、

なんとなく、
もったいないというか、

不思議に
思うことがある。

あるいは、

電車の中で
スマホを見ていて、

これだけの人が
一つの場所に集まっていて、

それぞれが、
個々に、自分の世界に
入っていることが、

不思議に感じる
ことがある。

まぁ、

スマホの場合は、
その中に、また別の大きな
世界が広がっているんだろうけど。

別に、

出会う人すべてと
何らかのコミュニケーションを
取ろう、

とか
そういうわけではなく、

ただ、
背景のようになっているな、

と。

漫画
『ドラゴンボール』
の中に、

元気玉(げんきだま)
という技が出てくる。

これは、
主人公の孫悟空が

「オラに元気をわけてくれ!」
と言って、

自然界からエネルギーを
少しずつもらって球体をつくり、

そのエネルギーの玉を
投げつける技。

大地、
海、
そして、

生きている
すべてのみんなから、

ちょっとずつだけ
元気を分けてもらう。

そして、
そのエネルギーの球体が
少しずつ大きくなっていく。

漫画は、
こんな発想がおもしろいな、
と思う。

ここで、
じゃあ、

冒頭の街中で、

すれ違う人たちから
少しずつ、
元気を分けてもらおう、

という話に
なるのは、ちょっと違う。

イメージの
言語化がむずかしい。

たとえば
元気玉のような、

氣の交流のようなものが
あっても
おもしろいな、

と。

じゃあ、
これが、人や生き物ではなく、

コップや壁といった
無機物の場合は
どうなるのか、

とか考え出すと、
また、ちょっとむずかしい。

斉藤一人さんとかだったら、

モノの
固有の振動数とか
そんな話になるんだろうけど。

むずかしいね。

とにかく、
人や動物、植物なんかの
生命力。

そして、

コップや壁やパソコンなど
そのモノの持つ
在り方のエネルギー。

(物理学?)

そんなものと、
自分との関係性とか、
共鳴とか、

考えていくと
おもしろいな、と思った。

今、
リアルの話をしたけど、

ネット上では、
いろんなサービスやアプリで、

多くの
個人の創作やハンドメイド作品などが
やり取りされていて、

それに伴って、
お金も循環している。

個人が表現者となって、
自分のコンテンツに値段をつけるのが
主流になりそうな流れ。

だれもが、
アーティストやクリエイターに
なりうる時代。

そんな表現者を支援するという形の
仕組みも見かける。

SNSで「いいね!」をする感覚で、
「支援する」という
ボタンがあったりする。

クラウドファウンディングも
そんな支援の仕組みのひとつ。

昔の音楽家や画家が、
パトロンの支援のもと芸術活動をする
という、現代版みたいなもの。

リアルでも、
ネットでも、

流れているところでは、
流れているな、と思う。



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