喪失感からくる創造性

何かを失って初めて、
気づくもの、生まれてくるもの。

そんな
喪失感からくる創造性が
いろんな作品の重要な要素だったりする。

映画でも、
漫画でも、小説でも。

平穏な日々が、
何者かによって壊され、
失ったものを取り戻していく。

新たな何かを見つける。

そんなストーリーが
人を惹きつけたりする。

伝記や自伝、
テレビのドキュメンタリーでも、

あのときの不遇があったから、
今の自分がある。

というものが多い。
人の心を打つ。

感動する。

ただ、
見落としがちなのは、

そんな不遇が身に降りかかって、
それを乗り越えなければ、
望む日々が手に入らない、

と思い込んでしまっていないか、
ということ。

それが唯一の道、
というように。

こんなことがあって、
結果として、今があります。

というのは、
ひとつの視点。

過去の解釈。

逆に
未来(今)を考える際に、

何かを乗り越えなければならない、

とは
限らない。

結果をふりかえって、
そう思うことはあっても、

今、未来にそんな不遇を
用意する準備をしなくてもいい。

(変な日本語…用意する準備)

それも、
ひとつの視点。

世の中には無数の歩き方があって、
山道を走る人もいれば、
ダンスのステップを踏む人もいる。

目的地を目指す人もいれば、
目的地がここだと気づく人もいる。

幸せの青い鳥を探して、
どこか遠くへ旅立つ人もいれば、

あたたかい部屋の中で、
青い鳥と一緒に
ダンスステップを踏む人もいる。

いろんな考え方があるね、
ということ。

まぁ、いろいろあって、
その中から、

自分で選ぶなら
なんでもいいよね、
と思う。



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