疑似体験によるショックの緩和〜大楠

デジタル
というと、

「0」と「1」
だけからなる2進数の構成。

たとえば、

人間が、
素粒子とか分子レベルで
構成されているとして、

その配列が、
仮に、「0」と「1」で
構成できるとする。

すると、
その構成や配列さえ再現できれば、

理論上は、
人間を瞬間移動させたり、
コピーできたりするはず。

たとえば、
音楽を「mp3」データで、
コピーするのと同じ要領。

データを、
メールで飛ばせたりする。

で、
仮にそうだとすると、

記憶というのは
どうなるんだろう。

仮に、
記憶は、脳のしわに
刻み込まれるとする。

それは、
新たなものが加わった
というものなのか、

それとも、

もともとある脳のしわの
刻み方に変化を加えただけの
ものなのか。

もし仮に、

記憶や体験というものが、
脳のしわの刻み方の違い
だけだとすると、

その刻み方さえコピーすれば、
体験そのものも
再現できることになる。

仮に、
ゴッホのひまわりの
絵を見たとする(体験)。

その絵を構成する
デジタルデータ(0と1)を
脳のしわに刻み込む。

すると、
その絵を見たという
記憶が追加される。

そういう意味で言うと、
極端な話、

実際に体験しなくても、
さも体験したかのような
疑似体験ができることになる。

ちょっと、
前置きが長くなったけど。

思ったのは、
小説であれ映画であれ、
漫画であれ、

その中で表現される
感情等を疑似体験することで、

その記憶は、
情報として、
脳の中に刻み込まれる。

そして、
その疑似体験の総量や
影響度によって、

実生活に
影響がでるのかな、と。

別の角度から言うと、
たとえば、
ゲームの話。

自分が小中学生の頃、
ゲームボーイがはやった。

持ち運びができる、
(当時は)白黒の携帯ゲーム機。

その中で、

ロールプレイングゲームの
「魔界塔士SaGa」(1989年発売)
にはまった。

そのゲームの中では、
お金で、

「すばやさのもと」や
「ちからのもと」を
買うことができる。

つまり、
それを買って使えば、
素早さや力があがる。

あるいは、
「ふぁいあのしょ(ファイアの書)」
を買うと、

ファイア(炎)の魔法を
使うことができる。

これらも、

先ほどの、
情報による疑似体験なのかな、
と。

ついでに、
もうちょっと。

ファミコンソフトの
アクションゲーム、

初代「ロックマン」(1987年発売)
に出てくる、
ボスキャラ、イエローデビル。

体を分裂させて、
個々に移動させ、

別の場所で完全体となり、
攻撃する。

そして、
また、体を分裂させ、
移動する。

この攻撃は、
当時の自分には、
衝撃だった。

これも、
冒頭の考えでいくと、

情報の分裂による、
瞬間移動、と同じ
原理になるのかな。

(瞬間ではないけど)

あれこれ、
いろいろ書いたけど、

要は、
こんなことを思った。

小説や漫画などの
ストーリーを通して、

感情などを疑似体験することで、

それがない場合に比べて、
実際の感情のダメージ具合が
多少なりともましになるのかな、

ということ。

グサっとくる言葉を
言われた。

このとき、
疑似体験をしていないと、
ストレートに感情を揺さぶられる。

でも、
一度ストーリーの中で、
その場面を疑似体験していれば、

「そういうこともあるよね」
と、

多少なりとも、
感情の揺さぶりや
ダメージ(のようなもの)は、

緩和されるのかな、
と。

既視感、
というか、

学習というか。

そんなことを
あれこれ考えてみた。

今日のくすの木、と梅の花。

20160131a



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