あびるように受け取る

以前書いた、
ニュートリノのことを思い出した。

2015.08.29「幸運はみんな同じように降っていた”」

ノーベル物理学賞を受賞した、
小柴昌俊さんの話。

ニュートリノという素粒子を
運良く観測できた。

当時、
小柴さんは、
こう語ったという。

幸運(ニュートリノ)は誰にも
同じように降り注いでいた。
私はただその準備をしていただけ。

だいたい
こういう主旨だったと思う。

いいね。
深い。

この言葉を思い出したとき、

言葉というより、
イメージが思い浮かんだ。

あくまで
自分が勝手に思い浮かべた
イメージ。

それは、
流星群のように、

光の粒のようなものが、
全世界に降り注いでいる
というもの。

Google画像検索 – 流星群

こんな感じ。
イメージとして。

(アクションゲームの「ロックマン4」
(1991年発売)に出てくる
トードマンの技「レインフラッシュ」
もイメージが近いかも。)

この流星群のようなものが
日夜、
我々の元に降りそそぎ、

全員がほぼ等しく
それをあびる。

ただし、
それを受け取るかどうかは、
また別の話。

小柴さんは、
会う人会う人に、

運が良かったですねぇ、

と言われたという。
しかし、

小柴さんは、
それをとらえる準備をしていた。

幸運(ニュートリノ)は、
誰にも同じように降り注いでいた。

何かの
記事で読んだ話。
それは、

今の現状が、
よくないものだったとして、

それでも、
少しでも一瞬でも天国のように
感じられる瞬間があると思う。

その領域を
少しずつでもいいので、
広げていければいいね、と。

そんな内容。
おもしろいね。

たとえわずかであっても、
今感じられるものを
広げていく。

やがて、
それがあらゆるところまで
広がったら、

まさにこの世は天国
みたいになるんだろう。

ちょっと
主旨は違うかもしれないけど、

「味の向こう側」
という話を思い出した。

漫才師、麒麟(きりん)の
田村裕(ひろし)さんの
貧乏時代のエピソード。

当時、食料が少なかったので、
噛むことで
お腹をふくらませていたという。

ごはんなどは、
よく噛めば甘みが出てくる。

そこで、田村さんは
こんな発見をした。

噛んでいると甘みが出る。
さらに噛んでいると無味になる。

そして、
さらに噛み続けていると、
わずかに、ふわっと甘みが戻る。

これが、
味の向こう側。

だいたいこんな話
おもしろいね。

ふわっ、というのがいい。

それから、
「味の向こう側」という
表現もいいね。

結局のところ、

ニュートリノの話も、
天国の話も、
味の向こう側の話も、

誰もが
手に触れているだろうものを
つかむかどうかだけの話。

あびるように
降り注いでいるのであれば、

あびるように
受け取ってもいいのでは、
と思う。

・・・・・・・
20160303a

リゾルト710。

裾(すそ)の
折り幅の話。

デニムの裾の先と
折り返した際の縫い目の幅を
「ヘム幅」という(画像のペン先)。

リーバイスのヴィンテージや、
このリゾルトのデニムなどは、

だいたい、
このヘム幅が、8mmくらい。

この幅。
すごく好き。

これが、
10mmとかになってしまうと、
途端に、印象が変わってしまう。

なんだろうね。
おもしろい。



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