人生のたとえとして、
この世は、
遊園地みたいなものだ、
という話を
聴いたことがある。
いろんなことを経験するために、
この世に生まれた。
そこは、遊園地みたいなものだ。
だったら、
ただ、楽しめばいい。
そんな
趣旨だった。
おもしろいね。
なんでもない日常を
いかに楽しむか。
こういった言葉を
最近よく見かける。
でも、実際やってみるとなると、
なかなかむずかしい。
たとえば、
幼い子どもを見ていると、
やることなすこと、
すべてが新鮮に写っている
ように見える。
お絵かきしていても、
ブロックで遊んでいても、
ジャンプしていても、
何かができると、
目を輝かせる。
ほんとに、
目が輝いて、
満面の笑みを浮かべる。
子どもって純粋。
また、
たとえば、
もし、江戸時代の人が
現代にやってきたとしたら、
今の世界は、
ほんとに驚きの連続だろうと思う。
これが、
江戸時代の人でも、
宇宙人でもなんでもいいんだけど、
そんな人が、
われわれが、
なんでもないと思っている日常を
遊園地のように感じる。
地面が固まっている!
(アスファルト)
鉄のかたまりが動いている!
(電車)
目に不思議な輪っかが!
(メガネ)
ジェットコースターのように
スリリングな経験もするだろうし、
園内のプールで、
開放感にひたったりもするだろう。
そんな、
江戸時代の人というメガネを
かけて、
改めて
世の中を見てみると、
目の前が
遊園地のように見えるかもしれない。
機械仕掛けのふしぎ世界。
・・・・・・・
リーバイス501黒カン金脇割。
ボタン裏のサビ。
手に入れたときから、
このサビはあったように思う。
このデニムが作られたのは、
今から34年ほど前のこと。
当時、
アメリカの工場で作られたものが、
デッドストック(未使用糊付)のまま、
海を渡って、
自分(パパち)の元に
やってきた。
そして、
息子が生まれたその日に、
糊落とし(洗濯)して、
自分(パパち)が
履き込んでいく。
ボタンのサビを見ただけで、
そんなストーリーや
記憶が
あたまの中をかけめぐる。
時間と記憶を共有して、
旅するデニム。
もはや、
ただの衣服ではない。
おもしろい。