”本音”とすれ違う

街中を歩いて考えたこと。

目に見える現実がすべて自分だとして、
すべての願望は叶っているとして、
世界は自分に本音を伝えたがっているとして、

今すれ違っている人たちや景色は、
自分の本音ではないだろうか。

過去、今さっきまで心の奥底で願っていた本音が、
ファッションショーのように目の前に現れる。

この中からなりたい自分や世界を絞り込んでいけば、
また現実も変わるかも。
近い将来の自分の予告編。

目の前に現れた現実は、世界のほんの一部。
あるいは、世界のすべて。



オアスロウ”不変的な美しさ”

「…世界中の昔の手仕事を見て思うことですが、国や地域などとは関係なく、人間ならば共通して感じる不変的な美しさがある。それは例えば空や海などの自然なのかもしれませんが、ウチの洋服にもどこかそんな感覚を表現できればと思っています」
オアスロウ 仲津氏
カジカジ 2015.04号



踊り続けるということ

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。」
「ダンスにおいては、踊ることそれ自体が目的であって、ダンスによってどこかに到達しようとは誰も思わないでしょう。無論、踊った結果としてどこかに到達することはあります。踊っているのですから、その場にとどまることはありません。しかし、目的地は存在しないのです。」
『嫌われる勇気』(岸見一郎氏、古賀史健氏)

「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」
『ダンス・ダンス・ダンス(上)』(村上春樹氏)