今
この本にはまっています。
古神道研究科である
矢加部幸彦氏の
『神ながら意識』。
パパちです。
◇◇◇
日本古来の神社やそういったものに対し
昔の日本人がどう接していたかが
分かりやすい言葉で書かれています。
難しいことを
この方自身の言葉で
書かれているという印象です。
自分の言葉で語るというのは
大事なことですよね。
昨日ふと目にとまった一節を
一部抜粋。
「(前略)
道を行く者 その歩みし後は 羽衣の香りの漂うがごとく
(中略)
いつしか道を行く者は その意味を問い続けることも忘れ 道そのものとなる
(後略)」
(同書より)
◇◇◇
その本の中に
日常でもできる禊祓(みそぎはらえ)が
紹介されていました。
禊祓というのは
たとえば
昔の日本人が
神社へ参拝するのに
衣服を脱いで川で身を清めた
というような
ものです。
「穢(けが)れ」を「祓(はら)う」
ということです。
今を生きていなくて
「ケ(気)」が枯れたりしたとき
(「気離(けが)れ」ともいう)
その囚われを解き放つという
「身削(みそ)ぎ」であり
「水注(みそ)ぎ」でもあり
「霊注(みそ)ぎ」でもあります。
(今を生きていなくて)
気掛かりがあれば気が枯れ
生命の振動数が低下する。
その不快からの脱却です。
で
その禊祓ですが
日常でもできるものが紹介されています。
その一つが
朝の冷水シャワー。
やってみましたよ。
(ちょっと簡略した我流ですけど)
滝行の簡単バージョン
みたいなものですかね。
衣服を脱いで
胸から鎖骨のあたりに少し粗塩をぬり
手から順番に
シャワーで冷水をかけていきます。
できれば祝詞
(のりと:神主さんが言うような言葉)
も言ったりするといいみたいです。
時間にして
ほんの1分弱くらい。
ちょっと勇気がいりましたけどね。
気がしゃきっとしますね。
ちなみに
朝顔を洗うのも
簡略された禊ともいえるそうです。
これを毎朝続けるかは
ちょっと
身体に相談してみます。
あと
昔の日本人の在り方について
こんな記述がありました。
一部抜粋。
「(前略)ケガレが生じたらそのたびに禊(みそ)いで祓(はら)って神の在り方にならい、神さながらに生きようと決意を新たにする。常に生まれ直し、何度でも生き直しをして、弥栄(いやさか)のために働いてきたのです。(後略)」
(同書より)
ちなみに
弥栄(いやさか)とは
同書によると
「いよいよ栄え、ますます繁栄する」
という意味です。