角度を変えてみる〜大楠

寒い季節になっても、
やっぱりビールはおいしいもので。

ボジョレーのワインも、
日本酒の熱燗も、ウイスキーも
どれもおいしいけど、

やっぱりビールはいいね。
食欲が3割増しになる。

最近、ビールをグラスに注ぐのを、
息子が手を添えて手伝ってくれる。

おっとっとっと~、
あわあわ~、とか言いながら。

その泡立ちや、
黄金色の色合いも、
またいいね。

泡が少しずつ、ゆらゆらと
上に上がって行くのを
眺めるのも好き。

だんだんと泡が静まって、
きれいな黄色一色になる様子も
また格別。

で、
最近気づいたんだけど、
ビールを注いだグラスを
下から覗いてみるのも楽しい。

横から見ると黄色なのに、
下からだと、淡い色合いになる。

その色合いの中に、
小さな気泡がいっぱいに広がった様子が
見て取れる。

おもしろい。

ビールに限らず、
そういったものを見る時間って好き。

たとえば、
ドリップコーヒー。

袋を開けたときの
ふわっと広がる粉の香り。

お湯を注いだときの
ほわっと盛り上がる粉の動き。

お湯が染み込んでいくときの、
くつくつくつという音。

この時間が至福。

こういった、
一見無駄に思える時間が好き。

他にも、
氷の上にウイスキーを注いだときの
パチパチという氷の音。

しばらく時間が経った後の、
氷が動く、からん、という音。

氷とウイスキーが溶け合う
琥珀色の複雑な色合い。

時間の経過
そのものを愉しむ感じ。

そうやって、時間の経過を
いろんな角度から見てみるのもいいね。

感性を働かせる、
すなわち本来の自分に還る。

最近、このあたりのことが
自分の中のひとつのポイントに
なっているように思う。

今日のくすの木。と紅葉。

20151130a



感性を思い出す〜大楠

いい気候。

今日(昨日)は
息子とお出かけ。

自転車に乗ってお出かけするよ~、
って言うと、息子が、

テレビを消して、帽子をかぶって、
アンパンマン・リュックとくつ下を
持ってくる。

いいね。
かわいい。

最近、自転車のお出かけが
お気に入り。

特に目的もないので、
ふだん歩いては行けない、
地元の神社に行ってきた。

Googleさんを頼りに、
細い路地を抜けたりしながら、
楽しくお出かけ。

子どもの頃を思い出すような、
昔ながらの風景。

くねくねした道、
果物がいっぱいなった畑、
稲刈り後の田んぼ。

自転車は、
会話が楽しい。

(信号)あおー!とか、
(自分も乗ってる)じてんしゃいっしょー!
とか、
人や場所に、ばいばーい、とか。

これキンカン、とか、
消防車あったー、とか、
右に曲がりま~す、とか。

目についたもの、
動きについて、
ずっと2人でおしゃべり。

ちょっとした冒険みたい。
地元探検隊。

そして、初めての神社。
いい雰囲気だった。

ちょうど七五三もやっていた。

イチョウの葉が地面に広がって、
黄色いじゅうたんみたい。

今日すごいなぁと思ったのは、
イチョウが重なった上を歩いて、
息子が、

もふもふー、

って言ったこと。

気になって
自分もイチョウのじゅうたんに
乗ってみると、たしかにもふもふ。
ふかふか。

こんな語彙を持っていたのか~。
そして、その感性を言葉で表せるのか~、
と驚いた。

自分の感性で世界を感じ、
それを言葉で表す。

これって大事だなと、
改めて思った。

大人になるにつれ
フタをしてしまいがちなこと。

忙しく目の前のタスクをこなすより、
日々の感性を大事にする。

そんなことを
教えられた気がした。

今日(昨日)のくすの木。と、すずめ。

20151129a

イチョウのじゅうたん、と息子。

20151129b



気分転換に文章を書く

今日(昨日)は一日
文章ばっかり書いていた。

ワードを使って、

書いたり、削ったり、
転記したり、並び替えたり、
資料とつき合わせたり。

ほどよい疲労感。

以前のように、
残業してがっつり仕事って
できなくなってきた。

まぁ、それだけ
集中して密度が濃くなった
から、と思っておこう(笑)

書いていて思うのは、

ブログの文章と
仕事の文章は、

使っている脳の部位が違うなぁ、
ということ。

ブログは、
どっちかっていうと
感情に任せて勢いで。

仕事は、
どっちかっていうと、
論理的に分かりやすく。

右脳と
左脳の違いかな。

だから、
理想を言えば、

仕事の合間に、ブログを
1日に3つくらい更新したら、
いい気分転換になると思う。

イメージで言うと、

たとえば、
ランニングして疲れたから、
気分転換にプールで泳ぐとか。

バイキングの後の
ケーキは別腹とか。

まぁ、
何でもいいんだけど、
同じことをしているようで、

実は、気分転換に
なっているというような。

役に立っていないようでいて、
役に立っている、とか。

老子に、

「曲がりくねった樹のように
役たたずでおれば、
身を全うできる。」

という言葉がある。
金谷治さんの訳。

その老子第23章の後半には
こうある。

「古人のいわゆる「曲がりくねった役たたずでおれば、身を全うできる」というのは、いかにもでたらめではない。まことに、それでこそ身を全うして完全なままで、生まれ出てきた本源にその身を返せるのだ。」
(金谷治氏『老子』第23章後半)

この、役に立たない、
というのは、

「「出る釘はうたれる」の反対で、
これを曲全(きょくぜん)の道という。」
らしい。

それにしても、
2,500年前の『老子』が
古人の言葉を引用するって、

どんだけ古いんだ(笑)
って思う。

おもしろい。

リーバイス501ハチマル後期。
と、息子の足。

20151128a

デッドからおろして2か月ちょっと。