朽ちていく美〜大楠

慣れない街を歩いていて
古い団地に目を奪われる
ことがある。

そこだけ時間が止まってしまった
かのような佇まい。

先日もそんな古い団地を見かけた。

周りに新しい高層マンションが建つ中、
そこだけ空気の重さが違うような感じ。

低い天井、
薄暗い廊下、
草の生えた敷地、
ひびの入った壁の塗装、
苔の生えた水路。

軍艦島とまではいかないけど、
そんな風景を思い出させる感じ。

朽ちていくものが持つ
時を経た美しさというか。

こういったものに
なぜ惹かれるのか分からないけど、
気になる。

子供のころに
かくれんぼとかして
遊んだ風景に近いからかな。

ちょっと意味合いは違うけど、
最近こんなキーワードも気になる。

「静謐(せいひつ)な空間」、
「たゆたう心」。

あと、
こんな言葉。

村上春樹さんの小説『羊をめぐる冒険』
の中に出てくる、いるかホテル支配人の
言葉。

「「私も時々何かを探すことができればと思うんです」(中略)「でもその前にいったい何を探せばいいのかが自分でもよくわからないんです。(後略)」
(『羊をめぐる冒険』より)

一見脈絡のないこれらの言葉や風景が
なぜか自分の中でリンクしている。

何かを思い出そうとしているのか、
気づこうとしているのか。

まぁ、とにかく、
こういったふっとした記憶や感覚って
大事にしておいた方がいいなと思う。

今日(昨日)のくすの木。

20151120a



あるいは無駄な時間を過ごす

あえて予定を入れない、
という予定が
あってもいいなと思う。

スケジュールかつかつで
動いていた数年前は、
今思うと、

焦燥感に駆られていた
だけだったな、と思う。

有意義に時間を使っている
と思って過ぎ去った時間。

もちろん、当時得たものが
今になって、点と点として
つながっているとも思う。

でも、
何かをしようとしたときに、
これをやろうか、

あるいは、
無駄に過ごしてみようか、

という選択肢もあっていいと思う。

何もしていないようでいて、
何かを為している。

まるで老子の思想みたい。

先日、
いろいろ困りごとのある
Aさんに、Bさんを紹介した。

Aさんは今まで一人で
その困りごとに対処してきて
大変だったと思う。

AさんとBさんと、自分と
3人で話をしていて、

Aさんは、Bさんに
困りごとを
ぶぁーっとしゃべった。

そして、
ひととおり話が終わって
とてもほっとした表情をされた。

問題の解決もさることながら、
それを解決できるBさんに
思っていることを伝えられた、

というのが大きかったと思う。

専門的な論点にしぼれば、
15分ほどで済んでしまう
話かもしれない。

でも、話を聴くこと、
それ自体に意義があるのだと思う。

仮に、時間を圧縮したとして、
これを有意義な時間を過ごした
と言えるだろうか。

時間や思いを共有するという
その時間。

また、別のCさんの話。

数年来、困っていることが
あって、自分も加わって
いろいろ話をしてきた。

それがやっと解決できそうな
めどが立ったとき、Cさんは
こう言っていた。

今日は、ゆっくり飲みに
行きたいと思います。

なんというか、
このほっとした感覚。

実際の話、自分は大したことは
していなくて、動いていたのは
そのCさん自身。

自分は、
ただその経過を語る時間を
共有していただけ、
とも言える。

何もしていないようでいて、
何かを為している。

これは一つの理想だと思う。



自分を通過させる

いろんなブログを読んでいて、
なかなかぶっとんだことを
書いているなぁ、

と思うことがよくある。

すごい、とか、
理解を超えている、とか。
様々。

人に共感されているうちは
まだまだ未熟、

と言う人もいる。

人の理解の数歩先を
進んでこそ、
人を惹きつける、とか。

漫才のツッコミも、
観客が反応する0.5秒前に
ツッこむからおもしろい。

以前、あるブログで
なかなかダブーに切り込んだ
記事を見かけた。

でも、それに対して、
共感するコメントが相次いだ
らしい。

時代は変わってきているのかも、
と、後に書かれていた。

ちょっとここで、
ある本について。

48年間、連続増収増益、
20年間、会社が嫌で退社した
人間はゼロ、

という会社の社長が書いた本。

長野県にある、「かんてんぱぱ」
で有名な伊那食品工業株式会社の
社長、手塚寛氏の書籍、

『リストラなしの「年輪経営」』。

「利益なんてカスですよ、
経営のカス」

と言い切っている。

健康な会社であれば、
「利益」というウ○チは
自然と出てくる、と。
(原文は、伏せ字なし)

だから、健康な
いい会社を作っていこう、
と。

ちなみに、同書では、
日本資本主義の父と言われる
渋沢栄一氏の言葉が引用されている。

「成功や失敗というのは、結局、
心をこめて努力した人の身体に
残るカスのようなものなのだ」

通過していったもの。

そんなキーワードが
最近気になっている。

自分を通過した言葉、
自分を介した人のつながり、
自分の中で再構築した方法。

そんなもの。

通過していった結果も
大事かもしれないけど、

通過させる過程、
通過させることそのものが、
むしろ大事かも、

と思うことがある。

あの人に言われたから
やってみよう、とか、

あの人の紹介だから
会ってみよう、とか。

そんなこと。

そんな存在でありたいという
意味も込めて、

この「通過させる」
というイメージが気になっている。