南国の風を感じる〜将来の不安とメキシコ漁師の話

南国にいるときのような感覚って
好きだな~と思う。

どこまでも広がる青い透明の海。
広い空。
開放感。

そきどき、そんなことを空想するけど、
その開放感自体は、今この瞬間でも
感じようと思えば感じることができる。

さとうみつろうさんの『神さまとのおしゃべり』という本で、
次のようなワークが出てくる。

(詳細をはしょって)簡単に言うと、
こんな感じだと思う。

<例>
貧乏が嫌だと願ったとして、それを抜け出すのに宝くじを買う。
そのしたいことの先には「金持ち」がある。
それが叶ったときの感覚は「らく~」。それは「幸せ」と同じ感覚。

→もう願いは叶っている。
→「金持ち」を経由しなくても、その感覚を沸き起せる。

・・・・・・

<ワーク:引用>
1.嫌なこと(例:貧乏)
2.それならどうしたいか?(例:宝くじを買う)
3.そして、どうなりたいか?(例:金持ち)
4.それが叶ったら、どう感じるのか?(例:らく~)
5.結局、どうありたいのか?(例:幸せ)

・・・・・・

とは言っても、やはり幸せと感じることがむずかしいのは、
将来の不安というものが大きいと思う。

今、幸せな感覚を感じられたとしても、
その先はどうなるか分からないと思ってしまう。

以前読んだ、メキシコ漁師の話が印象深い。
(参照:メキシコの漁師の話 – MyLifeYourLife

これも内容を簡単に言い換えてしまうと、
こんな感じ。
(詳しくは原文参照)

小さな漁村で魚を釣る漁師に対して、
ある投資家がその生活のことを聞く。
少し魚を釣って悠々自適な日々を送る、そんな生活。

その投資家は提案する。

大きなボートを買って、事業を拡大して
自分の企業を運営すれば億万長者だ。
20年くらいかけて株式を公開して…。

漁師「億万長者になって、どうなる?」
投資家「悠々自適な生活が送れる。」

こっけいなジョーク。

前出のさとうみつろうさんの本にもあるけど、
結局、今のこの現状にいかに幸せを感じるか、
ということだと思う。

そして、その瞬間の連続。



あふれ出てくるもの

何かアイデアを出そうとするとき、
一生懸命しぼり出すというよりも、
あふれ出てくるものを受け取るという発想がいいなと思った。

与えたくて、渡したくて、伝えたくて、
あふれ出てくるもの。

その相手、受け皿、
そして、その先も一緒に考える。

もっと言うと、そのときの感情も。

今、いろいろ考えたいことがいっぱいあって、
でも、もやもやしててもどかしい。