世界をつなぐということ

最近考えているのが、
空いているモノや空間、人の手などを
いかに必要としている人につなぐか、ということ。

余ったスペースに困っている人はいっぱいいて、
そのスペースを使いたい人もいっぱいいる。

モノであっても、労働力であっても。
シェアは今、世界中で広がっているらしい。

たとえば、ウーバーというサービス(アプリ)。

簡単に言うとハイヤーを呼ぶアプリだけど、
要は、運転したい人と乗りたい人をつないでいる。

まぁ、世界中でいろいろと
騒動になっていることは別として。

発想は無限。

どうしても固定観念が働くので、
いかに頭をニュートラルにするか、
ということに取り組んでいたりする。



“人がそこにいる”という音

明け方目が覚めたので、
ビル・エヴァンス・トリオの
『Sunday at the Village Vanguard』を聴いていた。

目を閉じながら聴くのにはちょうどいい感じ。
ジャズのピアノトリオ。

1961 年のライブ音源で、このアルバムと
『ワルツ・フォー・デビー』というアルバムに
分散収録されている。

音楽のライブ盤っていいね。

『ワルツ・フォー・デビー』というアルバムでは、
冒頭から、演奏と一緒に、食器の触れ合う音や
人々のささやき声などの音も聴き取れる。

この音がなんともいえず、いい。

今から50年以上前の、
その場の空気感が感じられる。

自分が学生のころ、
ちょっとした空き時間に、
ジャズ喫茶に通っていた。

大阪の天王寺にあるトップシンバル。
たぶん今はもうなかったと思う(…残念)。

昼間の時間帯に行けば、
500円のコーヒーを飲みながら、
大音量のジャズが聴ける。

近くの未来屋書店で本を買って、
でっかい音のジャズを聴きながら
ゆっくり時間を過ごすのが楽しかった。

マスターが寡黙だけどすごくいい方で、
自分がひとりのときは、
なにか聴きたいのある?と聞いてくれたりもした。

ライブにしても、ジャズ喫茶にしても、
演奏と、その周りの音とが相まって、
全体がひとつになる感じがとてもいいなと思う。

そこに人がいる、と感じることができる。

ここまで書いていて、
頭の中に、吉田拓郎さんの『唇をかみしめて』
という曲が思い浮かんだ。

“人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー”

最初にこの曲を知ったのは、
奥田民生さんのカバーだったけど、
カバーも原曲もどちらも個性的で好き。



ひとつのことを極めたいと思うのは

ひとつのことを極められたら
かっこいいなぁと折に触れて思う。

自分はあれこれ手を出してしまうので、
余計にそう思うのかもしれない。

たとえば、音楽。

小学校5年生くらいのときに、
友達がアドリブでピアノを弾いているのを見て
なにかやりたいと思ってギターを始めた。

ピアノと一緒に
合わせられたらいいなぁと思って。

たまたま家におじさんのガットギターがあったので、
よく触ってた。

中学3年生のときにエレキギターを買ってもらい、
それもよく触ってた。
受験とかあんまり気にしてなかった。

高校に入ると、友達とバンドを組んで
文化祭とか校内イベントに出た。

ギターもさることながら、今度は
レコーディング(録音)にはまった。

といっても、カセットレコーダーにバンドの音や
自分で勝手に作った曲を録ったりしてただけだけど。

あと、MTRっていう複数の音を録音できるものを買って、
いくつかの楽器の音を組み合わせたりしていた。

それから、スーパーファミコンのソフトだったかで、
音楽をつくるというのもはやっていたと思う。
ドラムとかベースとかピアノを打ち込んでいくもの。

大学では、レコーディングもできるというふれこみの
軽音系のサークリに入った。

そこでもギターを弾いたけど、
ベースの魅力に取り付かれた。
ジャズ研のウッドベースもあこがれてた。

まぁギターは競争が激しいというのもあったけど。
めっちゃうまい人がいっぱいいる。
そんな人とバンドを組もうと思ってベースを弾いたりもした。

と同時に、初心者の友達とバンドをしようということになって、
たまたまやる人がいなかったドラムをやってみることにした。

これがまた楽しい。
演奏全体を見渡せる感じがよかった。

そうこうしているうちに、
オリジナル曲を作ろうということなって
友達の下宿でいろいろ作ってた。

なにか適当にお題を決めて、
それに合わせて即興で作る感じ。
ある程度できるとスタジオでやってみたり。

当時、DTMという形で、パソコンで
レコーディングできるというソフトや機材がはやっていた。

おもしろかったので、
スタジオにノートパソコンを持っていって
録音したり、編集をしたりした。

そのあとは、ウクレレやら、なんやら
いろいろ触ってた。

でも、心のどこかでは、
何かひとつの楽器をやり込めたらなぁとは思っていた。

友人の言う
「おれ、これしか弾けないから」
という言葉がかっこよかったりした。

冒頭でも触れたように、
今でも折に触れて、なにかひとつのことを極められたら
という思うことがある。

それと同時に、
今あるものを掛け合わせる、という発想も
おもしろいと思っている。

掛け合わせることで
爆発的になにかが生まれる、そんなイメージ。

趣味とか、仕事とか関係なく、
あらゆるものを掛け合わせる。

ここまで、長々書いてきて、
現実逃避のエネルギーについても書きたいなと思った。

なにかやらなければならないことがあって、
それを避けるためのエネルギーって
けっこういいものがあると思っている。

これも、なにかの機会に書けたらと思う。