最後は”すっぴん”に戻る

今朝はなんとも冬っぽい感じ。
空気が凛としている。

先日、
国土交通省のメルマガに
こんな編集後記があった。

「本日のつぶやき
循環。その言葉を聞くと大好きだった授業を思い出します…「あらゆる物体は放射している。」そういうと先生は人、木、水、空、宇宙等と無数の矢印を描き、こう言いました。「すべてのものは循環できる」…心に焼きついた授業でした。(K)」
(2015年11月25日第1750号より)

いいね。
こういう授業。

学生時代に、
こういった価値観を変えるような
ものに出会えるっていうのは大事
だと思う。

ふと
思ったこと。

学生時代、

ロールプレイングゲーム(RPG)
のファイナル・ファンタジー5
(FF5)にはまっていた。

まぁ、RPGなんで、

敵と戦いつつも能力を上げ、
ラスボスを倒す、
という展開にはなる。

そこで、面白かったのが、
「ジョブ」や「アビリティ」
という考え方。

最初は、何のアビリティ(能力)
もジョブ(職業みたいなもの)
もないので、

「すっぴん」という
素の状態で戦う。

そのうち、
いろんなジョブになり、
いろんなアビリティを身につける。

たとえば、

・白魔道士 … 回復系の白魔法
・召喚士 … 召喚獣を呼び出す
・吟遊詩人 … 歌う
・踊り子 … 踊る
などなど。

職業は変わっても、
過去に身に着けた能力は残る。

そして、最後には、
そういった職業を手放し、
何の制約もない、

「すっぴん」に戻る。

この考え方、
いいなぁと、最近ふと思った。

執着せずに手放す。

たとえば、ある人が
過去に営業、調理という
仕事の経験をしたとする。

いろんな事情があって、
そういったものを辞めた。

でも、その経験と能力は
残っている。

あとは、素の自分に
なれさえすればいいだけ。

そういう解釈もできる。

創作料理を世に広める
活動ができるかもしれない。

あるいは、まったく違う
世界に飛び込めるかもしれない。

さっきのゲームの例では、
別に、最後すっぴんに戻る
必要はない。

でも、すっぴんだと職業の
制約がないので、存分に
自分自身を発揮できる。

素の自分に戻る、
というのがポイントだと思う。

先日気になった言葉。
鮒谷周史さんのメルマガより。

「一見、矛盾するように思える、

「あれも、これも、やろうとする」
ではなく、

何か一つを極めようとするときにのみ、
それぞれが連携する形で発動される、

「あれも、これも、ついてきた」
そんな世界を目指されてみてはいかがでしょうか。」

(メルマガ「平成進化論 4454号」より)

今朝の雲。角度によって
表情が変わるのがおもしろい。

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喜怒哀楽を表に出す〜大楠

電車なんかで、
セミナーや講演の音声を聴いたりする。

テンションの高い方の話はおもしろい。

エネルギーがあふれているというか、
解き放たれているというか。

勢いがついて早口になって、
観客の笑い声も相まって、
もう何言ってるか分からないくらい(笑)

むかし、自分は、人前でしゃべるなら
やっぱり滑舌をよくしたり、話法を
勉強したりしないと、と思っていた。

でも、そんなテクニックは
もはや関係ないくらい。

エネルギーの高さって
すごいなと思う。

喜怒哀楽で言うなら、
喜と楽があふれている。

ここ最近、
「怒」のことについて触れた文章を
よく目にする。

自分は、普段、
怒りを感じることって
ほとんどない。

まぁ、電車の割り込みとかで
ちょっとイラっとした、
とかっていうのはある。

それでも、日々のほほーんと
暮らしているので、
そんなにはない。

子どものように感情は素直に出した方いい
ともいうので、ほんとはもっと
怒ってもいいのかもしれない。

感情を感じる感覚が
鈍くなってる可能性もあるしね。

まぁ、そんな感情が湧いてきたら
そのときは出してみようと思う。

世間では、
いろんな人がいろんな人に対して
怒っている。

世間を騒がすニュースや、
身近な人間関係、
あるいは、赤の他人に対して。

視聴率を取ろうと思うと、
そういうニュースが多くなるんだと思う。

そういったメディアに触れる機会が少ない
っていうのも、自分の場合ある。

逆に言うと、
怒りの感情を誘発するようなものを避け、
それ以外の欲しい情報を見ている。

アドラー心理学の課題の分離っていう
視点から言うと、他者の課題に踏み
込まないっていうのも大事かなと思う。

自分に関係のない争いごとに
無理に入っていかないというか。

アンガーマネージメントにも
通ずるかもしれない。

出た怒りのコントロールと、
怒りを出さない環境作り。

怒りの感情が渦巻く環境に
身を投じない。

最近聞いた、
ある保育園の話。

子どもが「○○が恐いー!」
って先生に言った。

すると先生は、
恐いって言えてえらいねー!
って言った。

感情を抑圧せずに出せる環境って
大事だなと思う。

あと、
最近こんな本を読んでいる。

岡本茂樹さんの
『反省させると犯罪者になります』

冒頭でこんな記載がある。

犯罪に手を染める人は、
幼少期に親から抑圧された傾向がある。

言いたいことを言うと、
頭ごなしに否定される。

その抑圧された感情が
外に向かうと犯罪に向かいやすく、
内に向かうとうつ病などになる。

反省を否定はしないが、
否定的感情を吐き出しきるのが
まず大事。

そんな趣旨。

覚えている範囲で自分なりに
表現したので、正確なニュアンスに
なっているか分からないけど。

これって、
親子間の問題や、会社と従業員の
トラブルにも言えることだと思う。

反省よりも、
まず感情を出し切る。

切り口がおもしろい。

今日(昨日)のくすの木。雨。

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背景や物語を共有する

尾道デニムプロジェクトの
記事を見て。

ドイツからの手紙 VOL.19
~北欧のポストから PS~。

いいね~。
旅するデニム。

リゾルトのデニムを履いて
世界を旅する人のレポート。

北欧を旅して、
湖のほとりで
ウッドデッキに寝っころがる。

素足にデニム、
やわらかな日差し、
ゆれる水面。

「そんな北欧旅を終えたデニムは旅の前と表情が一変した様に感じる。デニムを織る糸の一本ずつに、北欧の自由の風が抄き込まれたからかもしれないし、ただ荒野にくたびれたのかもしれないけど、さらに良い顔になってきた気がする。」
(文中より引用)

デニムの表情が変わる。
これ、ほんとにたまらない。

自分も、毎日
家でデニムを見るたびに
その表情に見入ってしまう(笑)

深い蒼、やわらかい青、
光と影、綿の風合い。

一日として同じ表情はない、
と言ったら言い過ぎか。

ちなみに、
尾道デニムプロジェクト
というのは、林芳亨(よしゆき)氏が
デザインしたデニムのプロジェクト。

職業とデニムの関連性を
研究している。

広島県尾道市で働く、
漁師さん、大工さんなどの
職業の方にデニムを履いてもらい、
リアルのユーズドデニムを作る。

そこから始まって、
今、デニムを履いて
世界を旅するという企画もしている。

それが、旅するデニム。

「“尾道の漁師さん”→“京都の○○職人”“尾道の保母さん”→“海外の○○職人”など、1本のデニムに別の新たな物語を刻み込み、唯一無二のデニムを創り上げていく。」
(ホームページ「コンセプト」より)

デニムの背景や物語を共有する
っていう考え方がいいね。

世界をつなぐ。
職業とデニムの関係。

おもしろい。

以前、ある方が、
自分の生き様を表現すること、
それが自体が仕事だ。

という趣旨の発言をしていた。

生きていく上での過程。
それを様々な方法で表現する。

それに対して、共感した人が
様々な方法で応援していく。

その方の本を買う方法でもいいし、
コミュニティに入ることでもいい。

そうやって、ただ生きている、
それ自体を表現していく。
そして、応援される。

いいね。

また別の方が、

日々、細かい節約をするよりも、
その節約方法をブログで発信し
収入を得る方がいいと思う。

という趣旨の発言をしていた。

これも、いいね。

誰しも、自分の日常なんか
誰も興味がないと思っているけど、

少なくとも自分は、
人の考え方や生き様、
その表現に興味がある。

頭の中の葛藤や、
ふとした気づき、
ものを買った喜び。

冒頭の、
旅するデニムもそう。

その人が旅をして、
その風景、デニムの表情を
記事から垣間みる。

ほんとに楽しい。

ドイツからの手紙 VOL.19 ~北欧のポストから PS~ – ONOMICHI DENIM PROJECT
ONOMICHI DENIM PROJECT | CONCEPT – デニムは世界と尾道をつなぐ手紙