あるものを数える

先日の、
書道家、武田双雲さんのメルマガが
じわじわくる。

本文、たった2行。

「感謝してる人は、
感謝を求めることはできない。」
(2016.02.19「今日の武田双雲からの言霊」より)

この、
たったの2行が
深いなぁと思った。

この言葉から、
自分がそのとき受け取ったこと。

それは、

今あるものに感謝をしている間は、
感謝して欲しいとは思っていない。

逆に、
他人からの感謝を求めて、

こんなにしてあげたのに、
などと期待している間は、
自分からは感謝していない。

意識の向き方がまるで反対。

そして、
それらは片道通行。

そんな風に感じた。

今日(昨日)
家に帰る途中で、

なぜか急に
世界の見え方が変わった気がした。

道沿いの
花や木の植え込みが
いつもと違って見えた。

街路樹の木のかたち、
街灯の光で浮かびあがる葉の色、
さびた園芸の柵。

そういった
あたり前にあるもの。

なんでこんな不思議なかたちを
しているんだろう、

なんでこんな自然な朽ち方を
しているんだろう、

という
自然の造形美。

あるべくしてある。

経年変化。
自然のうつろい。

ただ、
あるな、と思った。

漫画ワンピースが好きで、
その中に、

あるものを
指折り数えるという場面がある。

失意のルフィに、
ジンベエがかけた言葉。

中略して抜粋。

「もう何も見えんのかお前には!!!
失った物ばかり数えるな!!!
無いものは無い!!!
確認せい!!
お前にまだ残っておるものは何じゃ!!!」
(『ONE PIECE』590話「弟よ」より)

そして、
じっと手を見つめ、
指折り数えるルフィ。

今あるもの。

冒頭の「感謝してる人は、
感謝を求めることはできない。」。

そして、
帰りに見かけた景色。

これらが、
ゆるやかにリンクして、

今あるものの
見え方が変わったように感じた。

だからといって、

あることに
変わりはない。

もともと、あった。

ただ、
それらに対して、

自分がどう感じるか
だけの話。

この、
ある、という感覚が、

身体の内側から、
じわじわじわじわくる。

不思議な感覚。



好きなものが分かると手放せる

最近、意識していること。

それは、
余白。

すきま。

時間のゆとり。
空間のゆとり。

これを
ぎちぎちにやってしまうと、
それ以上のものがやってこない。

最近、
何人かの人が言っていたこと。

予定を空けておいたことで、
こんな予想外の出会いがあった。

目標を持たなかったことで、
想像以上のことがやってきた。

そんなこと。

セレンディピティと
呼んでもいいかもしれない。

思ってもみなかった
もの。こと。

それとリンクして、
もうひとつ
意識していること。

それは、

片付けコンサルタントの
こんまりさんが言う、

ときめき。

「片づけで大事なのは「何を捨てるか」ではありません。「どんなモノに囲まれて生きていたいのか」です。」
(『人生がときめく片付けの魔法』より)

「生きていたい」
という在り方。

今まで
大事だと思っていた
こと。もの。

これも
案外、思い込みで、

実は、
そんなに必要でなかったかも、
と思えたりすることがある。

今まで
これは保存版だとか、
仕事で使うかも、とか、

そういって
取っておいた本。

そんなものも、

あっさり手放せそうな
気がする。

欲しいのは余白。

そんな風に思ったことの
ひとつに、

リゾルトという
デニムがある。

うまく言えないんだけど、
このデニムが好きすぎて、

自分の「これが好き」
という感覚が分かってきた。

そして、

その、好き
(こんまりさんが言う「ときめき」)
が分かることによって、

相対的に、

手放せるものが
分かってきた、というか。

言葉にすると
シンプルなんだけど、

たとえば、

家族がいれば
もうそれだけで幸せ、とか、

この服を着ていると、
どこへでも出かけたくなる、とか、

これを食べていると、
自然に笑顔になる、とか、

そんなこと。

おいしいものを食べていると、
自然に足がぷらんぷらんする
2歳の息子。

パパの歌を聴くと、
笑顔でこっちを見てくれる
0歳の娘。

そんな日々の
ささいなできごと。

何を捨てるかではなく、
何に囲まれて生きていたいか。

逆に言うと、

囲まれたいものが分かれば、
他のものは手放せる。

そして
手に入れる余白。

そこに、
ふっと入り込む
想像以上のもの。

ひとつのデニムを
通して、

そんなことを
思ったりした。

午後の日差しとリゾルト710。

20160222a



ただ近くで見ている

休日は、
子どもたちと

一緒にいられる
時間が長い。

寝てる娘を
至近距離で見てみたり、

息子と手をつないで
お散歩したり。

ただただ、
一緒にいる時間を楽しむ。

一緒に何かする。
そばで見ている。

近くに感じる。

以前に比べて、
ネットに触れる時間は減ったかも。

いろんな情報を追ったり、
何かを義務的に取り入れたり、

そういった時間が
自然に減ってきた。

何をそんなに
一生懸命していたのかな、

と思う。

新しい情報を集めて、
知識を積み上げて、

どこに行こうと
しているのか。

なんとなく
感覚で思うこと。

もう、すでに、

したいと思っていることの
下地や準備や知識は、
ある程度そろっているのかな、と。

あとは、
その点と点をどうつなげるか。

ただただ、
子どもたちを近くで見ている。

この中に、
何かしらヒントがあるんじゃないかと、

最近
思えてくる。

すでに何かはある。

うまく言えないけど、
そんなことを感じる。