数字は感情だ、と思うこともありますね

世の中には
いろんなおもしろい人がいるなぁ

と思いながら
日々を過ごしています。

そうすると

ほんとに
おもしろい人に出会うな
と実感しています。

パパちです。

◇◇◇

昨日は
中学時代の友人と会ってきました。

20年ぶりくらいですかね。
Facebookすごいですね。

ドイツ人の旦那さんと
ドイツで生活していて

今休暇で
2人で
日本に帰ってきているようです。

旦那さんも参加して
ノリノリで
楽しかったです。

印象に残っている言葉は
「Good choice!」

誰かが
メニューから
飲み物や食べ物を選んだとき

その選択に対して
Good choice!

全肯定な感じがいいですね。

ぼくはドイツ語はさっぱりですが
英語で話してもらえば

なんとなく
雰囲気は伝わります(笑)

余暇を
楽しんでいる感じが伝わりました。

話を聴いていると

日本人の働き方の感覚って
独特なんだなと感じます。

◇◇◇

仕事がら

経営やマネジメントに携わる
方からご相談を頂くことが多いです。

それに対して
もちろん

自分の専門分野からの
回答はできます。

でも
結局
その話をつきつめていくと

感情的にこうだった
など

人間関係の問題に行き着くんだな
と思うことが多いです。

「数字は感情だ」

とも
思います。

表面的には
数字の相談でも

その相談の背景には
いろんな感情のあれこれが
あるんだと

思うこともあります。

このあたり
もうちょっと突き詰めていくと

おもしろいアプローチが
できそうなんですけどね。

試行錯誤です。



まるでリゾート地にいるような朝の時間を楽しみたいですよね

朝から

風がさわやかで
心地いいですね。

パパちです。

◇◇◇

早朝ちょっと
外に出るんです。

新緑がまぶしくて
小鳥がさえずります。

日々の生活に追われていると
たぶん

こういったことに
気づかないんだろうな
と思います。

◇◇◇

同じ人や景色を見ていても
人それぞれ

感じ方や
見え方は異なります。

世の中は厳しいと思っていれば
世間の人は厳しいですし

世界はやさしいと思っていれば
世界はやさしい人であふれます。

朝の景色にしても

ここは
リゾート地なんだ
と思い込んでしまえば

なんだか
非日常の居心地のよさを
感じることもできます。

たとえば
リゾート地に行くのは

そういった心地よさや
幸福感を感じるために
行くんだと思います。

であれば
リゾート地に行かなくても

今ここで
その心地よさや幸福感を
感じられれば

それはそれで
いいもんですよね。


窓をあけて
心地よい風が流れ

家族で食卓を囲む。

香りのよいコーヒーと
できたてのパン。

いいですね。

日々の生活を送るうえで
いろんなできごとがあると思います。

ぼくとしては
できるかぎり

その時間の中で
心地よい時間の割合を

増やしていけたらな
と思っています。



専門と言われている分野を専門としない専門家もいいですね

いつだったか
ネットで見たやり取り。

ママからパパへのメール
「○○(息子)が寝返った!」

ネットのリアクション
「謀反(むほん)じゃあー!!」
「裏切りおったな」
「息子とて容赦はせぬぞ」

しょーもないけど
微笑ましいですよね(笑)

パパちです。

◇◇◇

娘が寝返りました。

というか
寝返ったのを目撃しました。

前々から
寝返ってはいたんですよね
たぶん。

でも
なかなかその姿を見せぬ(笑)


昨日やっと

娘の寝返る様子を
目撃できました。

子どもあるある
らしいですけど

親が見ていない寝返りは
ノーカウント(笑)

◇◇◇

最近
漠然と考えていること。

それは

専門と言われている分野を
専門としない専門家がいても
おもしろいな

ということです。

例えば
治療をしないお医者さん。

税金の計算をしない
税理士さん。

お茶をたてない
茶道の先生。

なんでもいいんですけど

世間一般で求められている
ことを

あえてしないというのも
いいですね。

これも
例えばですけど

その専門家と
ただ話をするだけで

問題だと思っていたことが
そもそも問題ではなかったことに
気づく

とか
おもしろそうですよね。

茶道は教えてもらわないけど
茶の心を身体で感じた
とか

株の話は一切しないのに
ただ一緒にごはんを食べるだけで
投資の本質に気づいた

とか。
なんでもいいんですけどね。

イメージで言うと
コーチングが近いですかね。

対話をすることで
相手の自発的な行動を促す
というような。

相談される側が
圧倒的なスケールのストーリーを
物語っていて

クライアントが
そこに
ただただ質問を投げ入れていく。

その行為が
結果として

クライアントの問題の
解決につながる

あるいは

問題と思っていたことが
実は本質でなかったことに気づく

そんな世界も
あってもいいかもしれませんね。

パパちの泉という
壮大なスケールの物語があり

その泉に
ただただ言葉を投げ込んでもらう。

そこから
何が出てくるか

あるいは
何も出てこないかは

投げ込んだ人にしか分からない。

あまりに
漠然としすぎていますけど

自分の中では
こんなことをやってみたいな
と思っています。