今という瞬間を感じたというその感覚は、あまりもささいなことでした

ものに触れたときの

感触や
素材感や
温度感が好きです。

パパちです。

◇◇◇

iPhoneで
本を読んでいて

ふと

iPhone本体の
ひんやりとした温度を
感じました。

心地いいですね。

iPhoneは
ケースなしの
そのままの素材感が好きです。

◇◇◇

「今」に集中する
ということを意識したとき

iPhoneの素材の温度や
その重さを感じました。

手の中に収まったときの
ほどよい重み。

外気温でひんやりとした
金属パーツ。

すべすべの肌触りの
タッチパネル。

そのどれもが
心地いいんです。

表現がむずかしいですね(笑)

要は
iPhoneアプリで
本を読んでいたんです。


そのときふと

iPhoneの温度を感じた。

すると
なんだか

あぁ
今たしかに「今」を感じたな
と思ったんです。

逆ですかね。

ふと「今」というものを
意識した。

すると
そのときの感覚が
温度を感じた。

むずかしい…。

もう
どっちでもいいです(笑)

つまり

今という瞬間を感じたという
その感覚は
あまりもささいなことだった

ということです。



人生は何かに気づくためのゲームだという仮説


あたたかいコーヒーを
飲んでいて

なんやかんやいている間に
冷めてしまうことがあります。

でも
その常温のコーヒーが
思いのほか

おいしいな
と思うことがあります。

パパちです。

◇◇◇

もうちょっと
言うと

今飲んでいるコーヒーは

あたたかい温度より
常温か
または

やや冷たいくらいの温度の方が

豆の苦みが引き立って
おいしいなと感じます。

温度の加減ですかね。

それとも
飲むときの心境みたいな
ものでしょうかね。

おもしろいです。

◇◇◇

最近
うすうす感じていること。

それは
人の一生というのは

何かに気づくための
ゲームのようなものなんじゃないか

ということです。

ちょっとした
仮説です。


その何か
というのは

人それぞれ違うのかもしれません。

あるいは
実は誰にでも共通のものかも
しれません。

ドラクエや
ファイナルファンタジー
といった

RPG(ロールプレイングゲーム)
みたいなものですね。

街の人や
洞窟の奥のメッセージから

ヒントを読み取って
その意味することに
気づく。

・右の草むらを見てみなさい
・石像の下を調べてみなさい
・そこでクリスタルを掲げなさい

なんて
ゲームでよくありますよね。


そのヒントに気づくことが
できる人は

その先の
冒険に進むことができます。

ヒントに気づけない人は
延々
同じ場所を

うろうろうろうろ
して回るしかない。

次に進むためには
これこれするんだよ
という

メッセージを
伝える役割の人がいる。

それは
街の商人かもしれないし
洞窟の奥の魔獣かもしれない。

そこで
そのヒントに気づくと

その商人や魔獣の
役割は消える。

逆に言うと

それに
気づかない限りは

街の人は
延々
同じことを言い続け

魔獣は
いつまでも襲いかかってくる。

なんだか
この世の縮図のようですね。

もし目の前に
うだうだうだうだ
言う人がいるとしたら

懸命に
何かを教えてくれているのかも
しれませんね。

先に進むためには
これに気づけよ
と。

ゲームって
攻略本なんかが
あると

わりあい
簡単にクリアできますね。

でも
あえて

それに頼らないポリシーの
人もいると思います。

そもそも
そんな攻略本の存在すら
気づいていない人もいます。

これは
どれが良い悪い
という話ではありません。

ただ
考え方の幅は無限ですね

ということです。

何かに気づくという
ゲーム理論。

仮説。

ぼくの中では
おもしろいので

もうちょっと
考えをめぐらせてみたいと思います。



何も考えない時間は、地図を広げるようなものですね

初夏ですね。

朝ちょっと
外に出るのが楽しいです。

パパちです。

◇◇◇

真っ青な空
やわらかな日差し

そして
とおり抜ける風。

木々の緑がまぶしく
静けさが心地よいです。

まるで
どこかのリゾート地に
来ているかのようです。

◇◇◇

こういうときは
ぼーっと
外で座っていたいですね。

日ごろあれこれ
考え過ぎなので

何も考えずに
頭をからっぽにしたいものです。

といっても
この

頭をからっぽに
っていうのは

案外むずかしいですよね。

考えないようにしよう
と思っても

次の瞬間には

雑念が
ぐるぐるぐるぐる
巡ります。

そんなわけで
仕方がないので

ヴィパッサナー瞑想のように
思考に気づく(ラベリング)
ことに意識を向けたりします。

まぁ
むずかしいことは
置いておいて

頭に何かが浮かんだら
それを言葉で意識していきます。

たとえば

・腕がかゆいと思った
・昨日の△△のことを考えた
・車の音が聞こえた
・息をはいた
・足を動かそうと思った
・イライラする感情を感じた

などなど。

放っておくと
自動思考で

ぐるぐるぐるぐる
なるとことを

言葉で
そこに意識を向けることで
思考がいったん止まります。

これは
やってもやっても
きりがないかもしれませんが

一挙手一投足に
ラベルを貼るように
意識をしていくことで

ある種の
瞑想の状態になるそうです。

歩いてやると
歩き瞑想になります。

座ってやらなくても
日常生活をしながらでも
できます。

思考って
放っておくと

ネガティブスパイラル
に陥りがちなので

都度都度
止めてあげるのがいいですね。

要は

ぼーっとする
ってことです。

むずかしければ
思ったこと感じたことに

ただ
意識を向けるだけです。

あとは
これの繰り返し。

思考し続けている時間は
ともすると

自分の本心とは
違う方向へ
進みがちですよね。

ほんとは△△がしたいのに
あれこれ考えて
理屈で◇◇してしまう。

逆に
言うと

何も考えない時間は
地図を広げて

今の自分の位置を
確かめるようなものですね。

地図を広げて

あっそうそう
ほんとはこっちへ行きたかったんだ
と気づく。

そんな感じです。

一日何も予定を入れないで
ただただ
ぼーっとしていたいものです。