“象を冷蔵庫にしまう三つの手順”

むかし読んだ狗飼恭子さんの小説の中で、
「象を冷蔵庫にしまう三つの手順」
というのがあった。

記憶があいまいだけど、
だいたいこんな感じ。

1.冷蔵庫のドアを開ける。
2.象を中に入れる。
3.冷蔵庫のドアを閉める。

まぁ、世間でいうところのジョークだけど、
考え方はものすごくシンプル。

ふだん考えごとをするときは、
どうしても視野が狭くなってしまいがち。

木を見て森を見ないというか、
そもそもの前提が間違っているというか。

心屋仁之助さんの本でおもしろかったのが、
『「好きなこと」だけして生きていく。』
の中のエスカレーターのエピソード。

せっかく目に前に上りのエスカレーターがあるのに、
頑張らないと価値がないと思って、
一生懸命下りのエスカレーターを上っている
人がいるという例え話。

上りのエスカレーターがあって、
それに乗れるのなら乗ったらいいじゃないか
という考え方。

至極もっとも。
あくまで価値観の話。

人生は下りのエスカレーターだという前提で
立ち止まらずに一心不乱に駆け上っていく
という人生を送るのもひとつの価値観。

どちらがいいか、とか
そういう話ではなく。

価値観や選択肢の問題。

なんの本で読んだかは忘れたけど、
子育てで大事なことについて
こんなエピソードがあった。

(子どもが)自分にはたくさんの選択肢がある
ということに気づいてもらえるように
いろんな経験をさせてあげるというもの。

本でも映画でも美術でもなんでも。

その子がなにかで困ったときに、
発想の転換ができるように。
他の選択肢もあるよ、と。

この、選択肢は無限にあって、
結局どれを自分が選択するか。

ここは大事なポイントだと思う。



ジーンズのミミのぽこぽこ

ジーンズのミミとか脇割の表面に出る
ぽこぽこっとした生地のうねりが好き。

キャタピラとかグリグリっていう人もいる。

写真では伝わりづらいけど。
リゾルト710のホワイト。
20150829a

リーバイスのエンジニアドジーンズ7分丈。
やっぱり息子が寄ってくる(笑)
20150829b



現実逃避のエネルギー

やらなければならないことがあって、
それを避けるためにやることって
ある意味いいエネルギーが出るなと思う。

世間でよく言う、
試験前になったらやたらと掃除したくなる
っていうあれ。

高校受験のときは、
ギターにはまってたし。

大学受験のときは、
曲作りとか録音だったかな。
なんかいろいろ文章を書いていた気もする。

資格の試験を受けるときには、
やたらと、HTMLやCSS(スタイルシート)を直打ちして
ホームページを作ってみたり。

じゃあ、試験が終わったら
開放されて心置きなくやり込めるか、
っていうと、そういうわけでもなく。

現実逃避でしたいことって、
本当に自分がしたいことの可能性もあるし、
ただ刹那的に逃げているっていう解釈もできる。

ただ、そのエネルギーを使って
今までしてきたことを思い返してみると、
案外、いろいろと役に立ってきていると思う。

故スティーブ・ジョブズ氏が
スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチでも、
点と点をつなぐ、という話をしている。

当時は役に立つと思っていなくても、
興味の赴くままに学んだカリグラフの知識が
後のマックのフォントに生かされたり。

じゃあ、今自分の中でどんなエネルギーが出ているか。

このブログもそうかもしれない。
ある意味あたまの中の整理。

インプットとアウトプットのバランス。

数年までは、
ほんとにいろんなセミナーやイベント、
交流会に参加してきた。

たくさんの人と出会って、
追いつかないくらいの知識を仕入れて、
平日、休日関係なく常にフローな状態だった。

おそらく、本来あるべき理想の自分に
近づきたかったのかもしれない。
こんな自分ではだめだ、まだ足りない、と。

そんな意識があったように思う。
インプットの集中。

でも、そんな時期もあっていいと思う。

点と点をつなぐという意味では、
あらゆる点を探していた時期。
(もちろん今でも)

では、知識や経験を積み重ねることで、
理想に近づき向上できたかというと、
そこは必ずしもそうとは言い切れない。

客観的には成長できたかもしれない。
でも、なにかが違う。

言いたいことがなかなかうまく表現できないけど、
武田双雲さんの言うところの、
「山を登らない」ということ。

それが、自分があろうとしている状態だと思う。

○○になる、のではなく、
○○である、ということ。

いつか、この「山に登らない」を
自分なりの表現で書き表してみたい。