心地よくない場から応援されているということかもしれない

他人の陰口や
愚痴を言い合っている場が
あんまり好きではありません。

パパちです。

◇◇◇

ただ
最近思ったのは

そういう場にいる人たちって
愚痴を言っているという
意識はあまりなく

ただただ
しゃべりたいだけなんだろうな

と思ったりします。

極端なことを言うと
話の内容なんか何でもいい。

「話したい」という目的のために
あちらこちらから
ネタを拾っているだけで

それがたまたま他人の不幸話
だったりするんでしょう。

◇◇◇

話は変わって。

最近思うのは
「不快な場」というのは
早く出て行けという応援なんじゃないか

ということです。

もうちょっと
分かりやすく言うと

気持ちがざわざわして
居心地がよくない
場や集まりがあったとして

その意味合いは

ここは今の自分にはふさわしくないので
本来あるべきところに行ったらどう?

うながされているんじゃないか
ということです。

もちろんその場にいる人たちは
そんなことは思っていません。

自分が
自分自身へメッセージとして
感じるかどうかの話です。

何かことを起こすのに
動機がポジティブかネガティブか
って大事って言います。

つまり
あれが嫌これが嫌
と言って何か行動を起こしても

起こした先でまた
同じ嫌なことが起こる

なんていう
あの話です。

そういう意味でいうと
不快な場からの応援
という解釈は

どっちかっていうと
ポジティブな動機なんじゃないかなと
思ったりします。

そういう意味では
自分に起こるなんやかんやは

すべて自分へのうながし
とも言えます。

みんな
あの手この手で応援してくれています。

間違った働き方をしていたら
腰痛になったり
(身体が教えてくれる)

その場が不快になることで
新しい方へ進めと
うながされたり。

ちょっと思い出したのが
漫画『ONE PIECE(ワンピース)』の

サンジが
海に出て行くシーン。

詳細は端折りますけど

海に出て行きたいけど
何かと理由をつけて出て行こうとしない
サンジに対し

その場の人が
サンジが作った料理がまずいなどと言って
ケチをつけ

出て行けという場面。
すごく優しさを感じます。

自分で出ていくという決心がつかないので

周りの仲間たちが
あの手この手で
自分のやりたいことをやれよと応援する。

いいですよね。

ふとそんなことを
思い出しました。

直感的に何か不快だなと感じるということは

それは誰かからの
応援かもしれませんね。



何かをしていて、都度都度、呼吸に意識を向けなおします

夏は
床のフローリングとか
畳に寝転がると

ひやっとして
気持ちいいですね。

パパちです。

◇◇◇

ここ数日
気温が低めですね。

過ごしやすいです。

◇◇◇

昨日の2投目でも
書きましたが


何かをしている最中に

そのときの呼吸を
見たりすることにはまっています。

こうやって
今ブログを書きながら

(たぶん)呼吸は浅くなっている。

意識が
iPhoneの画面と
指先にいっていますね。

これを
一瞬
呼吸に意識をもどす

というような感じです。

これは
何をしているかというと

思考が自動再生状態になっているのを
一度止める
ということだと考えています。

ほっとくと
人の脳は

自動でどんどんどんどん
思考していってしまいます。
(大抵はネガティブな方に)

なので
そこで一度

今呼吸をした
今指先を動かした
今寝転がったフローリングの冷たさを感じた

というように
一度
思考を客観視してみるという試みです。

ヴィパッサナー瞑想の
ラベリングのような感じです。

今これをした
今これをしようとした

という思考や動作に
意識を向けます(ラベリング)。

一挙手一投足。

そうそう
人としゃべっているときも
ときどき

今呼吸が浅くなっているな
と感じることがあります。

そういうのにも
いちいち
客観視していくのもおもしろいです。



仕事の作業でも、その瞬間の内面に意識を向けることが大事なんじゃないかと思います

電車で
移動しているときやなんかに
日々あれこれやっています。

ネットを見たりするのは
ちょっと飽きてきたので

本を読んだり
人や景色を眺めたり
呼吸を意識したり

身体を気が巡るのを
イメージしてみたりしています。

パパちです。

◇◇◇

そこで
今はまっているのが
呼吸。

身体の気になった部位に
意識を向けながら
呼吸の心地いいポイントを探ります。

これを繰り返していると
ときどき

あたまたのあたりが
ふわっと
するときがあります。

脳内の快のポイントをついたのか
あるいは
単なる酸欠なのか。

いろいろ
手探りでやっているとおもしろいです。

◇◇◇

要は
内観です。

外側ではなく
身体の内側に何かを求めていく

ということを
しています。

これって
普段は

電車の中とか
歩いているときに
しているんですが

仕事をしているときにも
何かできないかな


考えたりしています。

たとえば
パソコンのキーボードを打ちながら
呼吸に意識を向ける。

単純に
「ワードで文章を書いている」
という例でいってみます。

ふつう
ワードで文章を書いていると
そこに意識を集中させます。

すると
無意識ですけど呼吸が浅くなったり
姿勢が崩れたりします。

これは
ワードで文章を打つ
という動作が

そのときの自分の中で
最優先順位なので
そうなるんだと考えるわけです。

作業に意識が向いている。

でも
人生の

その一瞬一瞬を
生きることを最優先にすれば

その瞬間の内面が
いかに充実しているかが
大事なんじゃないかと思えてきます。

作業はあくまで外の行為であって
大事なのは
自分自身の意識の在りよう。

そう考えると
たとえば

「この作業を終えてしまわなければ」

という外面のタスクに
意識をもっていかれすぎると

内面
(身体の小さな声を聴くこと)
がおろそかりなり

結果として
それが外面に影響を
及ぼすんじゃないか

とも考えられます。

ちょっと
抽象的すぎますかね。

これは
自分の中では
おもしろいテーマなので

もうちょっと
掘り下げて
やってみようと思います。