「想像士」が言語で構築する世界

よく聞く話に、

「肩こり」という言葉を
知らない人は、
肩こりにならない、

というものがある。

肩こり、
という概念がない外国人には
肩こりがない、

とか。
あるいは、

もともと
肩こりがなかった外国人が、
マッサージされて初めて、

肩こりになったとか。
そんな話。

そういう自分も、

美容院だったかどこかで、
肩こってますね~、
マッサージしときますね~、

って言われて、
えっ、肩こってるの?
ってなったことがある。

身体がこるというのを
気にしだしたのは、
それからだったかなぁ。

どうだろ。

そういう
意味では、

小さな子どもは、
肩こりにならないと思う。

まだ肩こりという
言葉や概念がない。

大人が教えれば、
なるかもしれない。

また、
別の話で、

神経(だったかな?)の
プログラムは言語でできている、
という話を聞いた。

つまり、

身体の神経だったか何かは、
言語で認識することによって
初めて、その機能を果たす、

とかなんとか、
そんな話。

冒頭の話も含めて、

ぜんぶ
つながっているんだろうな、
と思う。

ここからは
想像の話。

子どもが読むような、
近未来のファンタジー
っぽい考え。

たとえば、

新しい概念を
言語でプログラミングできる、

「想像士(そうぞうし)」
という職業があったとする。

この世界では、
人間は想像することを禁止され、
一部の人間、

つまり、
想像士のみが、
新しい概念を作ることができる。

そして、
彼ら以外のふつうの人間は、

新しい○○を作ってください、
と、想像士に請願をしないと
いけない。

産まれながらに、
身体に極小のマイクロチップを
埋め込まれたふつうの人間は、

思考の中を
監視されている。

想像することを禁止された人間。

そして、
その人間を監視する、
想像することを許された人工知能。

その、
人間と人工知能が
ペアとなって、

想像士の概念の中で
日々の生活を送る。

そんな、
なさそうでありそうな世界。

あるいは、

今の世界の「ある側面」を、
それに近い要素で
置き換えた世界。

そんな世界を
いろいろ考えてみたりした。



かってに動いちゃうドミノアプリとか

子どもと一緒に、

ドミノをしたり、
ねんどの玉をころがしたりして
遊んだりする。

前に、
2016.01.12「楽しいひらがなの角度」
でも書いたけど、

「ひらがな」を
ドミノみたいにして
倒して遊ぶのもおもしろい。

で、息子が
「パタパタするー」(ドミノ倒しする)
って言うんだけど、

パパが並べていると、
途中で倒れちゃって、

息子に、
「せっかく~」って言われる(笑)
せっかく立てたのに、って意味。

思ったんだけど、
たとえば、

iPhoneアプリとかで、
勝手に倒れてしまわない
ドミノアプリとか、

つくってみたら
おもしろいかなと思った。

ビー玉をころがすアプリ
でもいい。

たぶんそんなのは
すでにいっぱいあるだろうから、

逆に、

iPhoneを揺らすと
せっかく立てたドミノが
倒れちゃうアプリとか。

ドミノのかわりに、
ひらがなを立ててもいい。

動物や漢字でもいいかな。

で、ドミノが
勝手に動いてしまう。

「ろ」を置いたつもりが
いつの間にか
「る」になってる。

「林」を置いたつもりが、
時間の経過とともに、
「森」になっちゃった、

とか。

キリンが歩き出してもいいし、
鳥が飛んでっちゃってもいい。

「鳥」という漢字が
「島」という漢字になってもいい。

「跳」がジャンプしたり、
「回」がくるくるまわったり、
「消」が消えちゃったり。

そんな自由なコマ(ドミノ)
を使って、
すべてのコマを倒してゴール!

ネット対戦でもいいね。

使えるコマが決まっていて、
だれも「消」は使いたくない、
とかね。

こんなことを、
キャラを使って
やりとりしてみてもいい。

たとえば、

すぐに、シュンと落ち込んじゃう
「しゅるる」くんと、

何でもポジティブに変換しちゃう
「ぽにん」ちゃん。

この
しゅるるくんとぽにんちゃんで、
会話してみてもいい。

アニメーションみたいにして。

あ、
あと、

前の
2016.01.13「無敵アンパンマンを漫才風に」
みたいに、

ブラックマヨネーズさん風に
漫才っぽくやってみてもいいかな。

心配性の吉田さん風と、
やさしく全肯定する小杉さん風。

そんな漫才風で。

(吉田さん風)なんか、儲かることないかぁ。
(小杉さん風)急にどないしたん。

(吉)いや、この商売っていつどうなるか分からんやん。
(小)せやなぁ。

(吉)そんときのために、なんか考えとかな。
(小)ほな、スマホのゲームとか考えたらいいんちゃう?

(吉)どんなん作んの?
(小)なんでもいいやん。パズルでもドミノでも。

(吉)それってなんか、ふつうやん。
(小)たとえば、スマホ揺らしたらドミノが勝手に倒れるとか。

(吉)そんなん、電車の中とかでやってたら、あーっっってなるやん。
(小)おもろいやん。おい、ゆらすなよー、って。

(吉)なんかなぁ。
(小)ほんだら、ドミノが勝手に動き出すとか。

(吉)どういうこと?
(小)キリンのドミノ置いてたら、勝手に歩いていくとか。

(吉)それ、こまるやん。
(小)だから、ええねやん。ちょっと待ってーなーって、おもろいやん。

(吉)まぁ、ゲームっぽいけどなぁ。
(小)漢字の「回」が、かってに回ってまうとか。

(吉)ええな。ひらがなの「ろ」が「る」になるとかな。
(小)えらい地味やな。

(吉)もうちょっと盛り上がりたいな。
(小)それやったら、ネットで対戦とかいいやん。

(吉)それ、コマのとりあいにならへんか?
(小)そりゃなるよ。おれ、「消」とかいややもん。

(吉)おれかって、「飛」とかいやや。
(小)とりあいになってまうなぁ。

(吉)ゲームはじまらへん。
(小)それやったら、ふつうのドミノで決めたらいいんちゃう?

(吉)でも、それやったら最初から、ふつうのドミノやっとけよってならへん?
(小)なるかもな。

(吉)おれ、どんだけドミノ好きな人やねん。もうええわ。

(吉・小)どうも、ありがとうございましたー。

みたいな。



大人も子どもも全力少年

外を歩いていて、

いやいや~!
って言いながら、

地面に
ねっころがる子を見かけるけど、

うちの息子も
そんな年齢になってきた。

ふだんは
何ともないんだけど、
たまにスイッチが入る。

いやーっ!
むりー!
もとどおりー!

って言って
全力で主張してくる(笑)

おもしろいのが、
「もとどおり」。

パパやママが
あれこれやっちゃうと、

自分でやりたいと言って、
元通りにさせられる(笑)

ふたを開けるとか、
着替えるとか、
改札でピピってやるとか。

どこまで元通りにして、
最初からやりたいのかなぁ、

とか考えるのも
おもしろいけどね。

なんでも
全力でいいよね、と思う。

子どもたちを見ていると、
よく、

スキマスイッチさんの
『全力少年』という曲を思い浮かべる。

「積み上げたものぶっ壊して
身に着けたもの取っ払って
止め処ない血と汗で渇いた脳を潤せ
あの頃の僕らはきっと全力で少年だった

セカイを開くのは誰だ?」

いいよね。
このセカイを開いていってる感じ。

まぁ、
そもそも、

思いのままに
全力で何かをしたいと
思っているのに、

制限をかけるのは
大人なんだけどね。

ちょっと待っといてね~、
これ触ったらあかんよ~、
もうすぐどこどこ行くよ~、

とか。

子どもは、ただ、
全力で少年しているだけ。

制限なんて取っ払って、
セカイを開きたいよね。

(これは、
自分に対しても言ってみたり)

最近、

ネットで目にした
親子のエピソードで、

ちょっとおもしろいな、
と思ったもの。

2つ。

ひとつは、
子どもが集中力がなくて
あれこれさせるけど続かなくて、
どうすればいいのか?

という質問の回答。

簡単に言うと、
それは、

子どもの集中力が続かないことで、
お母さんが世間から非難されるのが嫌だ、
っていう風に聞こえる。

というもの。
たしかにね。

子ども自身が困っている
という相談ではない。
お母さんが困っている。

そして、

その根本は、
お母さんがどう思われるか、
ということが隠れている。

お母さん自身の問題
とも言える。

(そもそも、それが「問題」なのか
という視点もあると思う)

あとひとつは、

小学生くらいの子どもが
お母さんに言った言葉。

それは、

お母さんがわがままでいてくれて
ありがとう、というもの。

お母さんが、
やりたいように
自由に生きていることで、

自分(子ども)も、
やりたいようにやれるよ。

という趣旨。
深いね。

いろいろ積み上げすぎて、
着込みすぎて、
脳は渇いていないか、

セカイは閉じていないか、

ということを
感じる余裕も大事だな、
と思う。