子どもの頃に観た映画

昨日、
ジブリのことをちらっと書いていて、

子どもの頃に観た映画って、
やっぱりいいなぁ
と思った。

深い部分で
影響を受けている。

『風の谷のナウシカ』(1984年公開)
『天空の城ラピュタ』(1986年公開)
『となりのトトロ』(1988年公開)
『魔女の宅急便』(1989年公開)
『紅の豚』(1992年公開)

このあたり、
もう何回も観た。

ほとんど
テレビの金曜ロードショーだけど。

あと、
スタジオジブリ関係の作品で

『海がきこえる』(1993年発表)
が好き。

原作は、氷室冴子さんの小説。
高知県を舞台にした作品。

地元を出たことのない高校生の男の子と、
東京からきた転校生の女の子を中心にした
物語。

何がいいって、

海がいいとか、
ノスタルジックな雰囲気とかあるけど、

やっぱり
高知弁がいい。

知っちゅう、とか、
そんな言葉の響きがいいなぁと思う。

歴史ドラマとかで、
土佐弁が出てきたりするけど、

現代の高知の言葉って、
リアルに聞く機会がないなぁと思って。

そんな意味もあって、

子どもながらに、
とても新鮮な印象だった。

観たのは10代の頃。

10代の頃の、
時間がいくらでもあって、

音楽とか映画とか、
いつでも聴いたり観たりできるときって、

やっぱりよかったな、
と思う。

とはいえ、
今の、

家族でお出かけしたり、
子どもたちと一緒に過ごす時間は

何ものにも
かえがたい。

こないだも、

録画してあった
『ルパン三世 カリオストロの城』
を観ようとしたら、

息子に
一瞬でアンパンマンに
変えられてしまったけど。

家族で観る
アンパンマンもいいよね。

ほんとに、
よく作られている。



身近にくすの木がある生活

アニメ
『となりのトトロ』
を観ていて、

サツキとメイのお父さんが、
家を気に入ったきっかけが
いいなと思った。

大きなくすの木を見て、
というのがきっかっけ。

いいね。

子どもたちに話しかける、
お父さんのこんなセリフ。

「立派な木だなぁ。
きっと、ずーっとずっーっと昔から、
ここに立っていたんだね。

昔々は、木と人は仲よしだったんだよ。

お父さんは、この木を見て、
あの家がとても気に入ったんだ。

お母さんも、
きっと好きになると思ってね。
さっ、お礼を言って戻ろう。」

いいね。

そういえば、
今、自分が住んでいるところも、

歩いて5分くらいのところに
昔からのくすの木がある。

樹齢700年くらいだったかな。
たしか。

最寄駅まで歩いていると、
その大きなくすの木が見える。

あと、
スタジオジブリの
『魔女の宅急便』で、

キキが魔女の修行に出るときに、
友達とこんな会話を交わしていた。

友達「どんな街にするの?」
キキ「海の見えるところにするつもり」

いいね。

修行をする街を決める
きっかけが、

海が見えるから。

住む家や街を決めるのに、
きっかけが、

大きなくすの木があるから、や、
海が見えるから、

というのがいいね。



喪失感からくる創造性

何かを失って初めて、
気づくもの、生まれてくるもの。

そんな
喪失感からくる創造性が
いろんな作品の重要な要素だったりする。

映画でも、
漫画でも、小説でも。

平穏な日々が、
何者かによって壊され、
失ったものを取り戻していく。

新たな何かを見つける。

そんなストーリーが
人を惹きつけたりする。

伝記や自伝、
テレビのドキュメンタリーでも、

あのときの不遇があったから、
今の自分がある。

というものが多い。
人の心を打つ。

感動する。

ただ、
見落としがちなのは、

そんな不遇が身に降りかかって、
それを乗り越えなければ、
望む日々が手に入らない、

と思い込んでしまっていないか、
ということ。

それが唯一の道、
というように。

こんなことがあって、
結果として、今があります。

というのは、
ひとつの視点。

過去の解釈。

逆に
未来(今)を考える際に、

何かを乗り越えなければならない、

とは
限らない。

結果をふりかえって、
そう思うことはあっても、

今、未来にそんな不遇を
用意する準備をしなくてもいい。

(変な日本語…用意する準備)

それも、
ひとつの視点。

世の中には無数の歩き方があって、
山道を走る人もいれば、
ダンスのステップを踏む人もいる。

目的地を目指す人もいれば、
目的地がここだと気づく人もいる。

幸せの青い鳥を探して、
どこか遠くへ旅立つ人もいれば、

あたたかい部屋の中で、
青い鳥と一緒に
ダンスステップを踏む人もいる。

いろんな考え方があるね、
ということ。

まぁ、いろいろあって、
その中から、

自分で選ぶなら
なんでもいいよね、
と思う。