自分の言葉で書くことに意味があるんでしょうね

昨日は
自転車に乗って

緑地公園に行ってきました。

小さな公園ですが
自然はいいですね。

パパちです。

◇◇◇

そこに
トトロの森の入り口のような
ところがありました。

小さなトンネルの入り口。

2016-05-23 07.50.01

出口。

2016-05-22 10.17.27

こういったところを
くぐり抜けるのは楽しいです。

◇◇◇

自分を通過させる
と言うんでしょうかね

自分の言葉で書くことに
意味があるんだろうな

と思うことがあります。

世の中には
ほんとにためになる
文章があふれています。

それを誰かに伝えるだけなら

これとこれ
おもしろいから読んでみて


いいんだと思います。

でも
それを自分の中に一度落として

自分が書くことに
何かしらの意味がある。

そんな風に
思います。

同じことでも
誰が言うかで違いますしね。



顔に当たる風が気持ちいい、とよく思います

昨日
「龍」というキーワードを
よく目にする

と書いてから
さらに
その後1時間くらいで

「龍さん」と呼ばれる方の
Facebook投稿を見かけたり

白龍の絵を
ブログで見かけたり

ドラゴンボールの
話を目にしたりしました。

たぶん
意識するからでしょうね。

パパちです。

◇◇◇

あと
ついでに

「循環」という言葉も
よく目にします。

江戸時代は循環社会だった
とか

そんな話題です。
これも
意識するからでしょうね。

◇◇◇

気になったついでに
もうひとつ。

ここ最近

外を歩いていて
風が顔に当たって気持ちいいな

と思うことが
多いです。

建物の中を
通り抜ける風とか。

たぶん
これまでにも

同じように思うことが
何度もあったはずです。

でも
最近なぜかそれを意識する。

五感を
より低い基準で
感じようとしているから

かもしれませんね。

感動の沸点を
下げるというか。

風が吹いて気持ちいい
というのが

あたり前のことではなくて

とても有り難い
希有なできごとのように
感じる。

こんなことを
言い出したらきりがないですけどね。

デニムに
脚を通したときの

するっと
ひやっとした

その肌感覚が気持ちいい
とか

iPhoneに触れたときの
そのすべすべ感が
たまらないとか。

五感の基準ラインを意識するだけで

世の中の感じ方も
変わるんだなと思います。



「龍」というキーワードをよく目にします

寝ながら
iPhoneでYouTubeを観ていたら

iPhoneが
顔に落ちてきました。

地味に
痛いですよね…。

パパちです。

◇◇◇

最近
「龍」というキーワードを
よく目にします。

深い意味合いは
さておき

なんとなく気になるので
いちおう言語化しておこうと思います。

◇◇◇

アメブロ上でも
ちらほら見かけます。

「漫画ゴラク」で連載されている
マンガ『白竜』を読んでいて

あぁ
これも竜だ
と。

ネットのコメント欄で
アニメ「ドラゴンボール」の
ドラゴンが気になったり

たまたま観た
SEKAI NO OWARIの
「ドラゴンナイト」のPV。

これも
ドラゴン。

Facebookで見かけた
易経(えききょう)好きの方も
龍について何か言っていました。

中国で
約3,500年前に完成されたと言われる
易経。

森羅万象の変化法則が説かれています。

竹村亞希子さんの紹介ページでは
易経の中の龍について
次のように書かれています。

「龍の成長は潜龍、見龍、君子終日乾乾、躍龍、飛龍、亢龍と六段階の変遷をたどる。
潜龍から躍龍までは飛龍になるための成長過程。そして飛龍はリーダーを示し、飛龍がおごり高ぶると亢龍(降り龍)になるという変遷過程である。」
竹村亞希子 OFFICIAL WEBSITE 過去の紹介メディア一覧 2005年より)

そんなわけで

理由は分からないけど
なぜか気になるキーワードを

言葉に起こしておこうと
思いました。

あぁ
そういえば

先日書いた
ゲーム『ドラゴンクエスト』の話も
龍ですね。

2016.05.13人生は何かに気づくためのゲームだという仮説 – パパちのあたまの中